借景 エフェソス(トルコ)

 

辻邦生 『背教者ユリアヌス』
ユリアヌスは円柱の台座に腰をおろし、青空を渡ってゆく雲を見つめた。時間が急に歩みを止め、万物が声をひそめたような感じだった。彼はそのとき、ふと、前日に読んだばかりのリバニウスの講義を思いだした。
「われわれ人間の努力は、ひたすら自己の形成する力を、自然の形成力と一致させることにある」とリバニウスは講義のなかで説明していた。「自然の形成力と一致したわれわれの形成力はロゴスと呼ばれ、ロゴスに従って生きるかぎり、われわれは全自然の必然的な流れのなかに生きているのである。このように生きる個人は、個々の偶発的事件の支配を脱して、普遍的なロゴスのなかにあり、外的拘束から自由になるに従って、人間の幸福は増大する。なぜなら、それだけ多く自然の必然的形成力と一致しており、神々の意向を正しく実現しているからである。もし人間が外的拘束を完全に脱し、また、他の事物に結びつける暗い情念から離脱することができるとすれば、そこに現われるのは自由な恒常の平和であり、自然と一体化することから生まれる歓喜の感情である。それは時間の有する刻々の破壊力からも解放された魂である。なぜなら時間に支配されるすべての偶然物、外在物からその魂は離脱しているからである。時間から解き放たれた魂は永遠の光のなかに生きる。それは、時をこえた領域に立つ自由な魂である」

 

マルクス・アウレーリウス 『自省録』

人生における救いとは、一つ一つのものを徹底的に見きわめ、それ自体なんであるか、その素材はなにか、その原因はなにか、を検討するにある。心の底から正しいことをなし、真実を語るにある。残るは一つの善事を他の善事につぎつぎとつないで行き、その間にいささかの間隙もないようにして人生を楽しむ以外になにがあろうか。

 

Ephesos

 

La culture grecque a laissé la grande influence aux êtres humains, pas seul à propos de construction tel qu’entasis de Temple Horyuji et tel que la façade comme un temple aux Archives Nationales des États-Unis mais aussi à propos de la pensée et la philosophie. Des classiques sont les choses pertinentes qui survirent à travers le baptême au moment. Quand vous faites face à difficulté, des classiques nous donneront des petites allusions.

 

哲学的に生きてみるというのも 大事なことかもしれません。

Follow me!

おすすめの関連記事はこちらです。あわせてどうぞ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です