見立てによる同一性問題の考察

「和漢のさかいをまぎらかすこと肝要々々」と、村田珠光は、『心の文』の中で、唐物と和物の道具の調和を説くとともに、心の問題を説きました。

 

鎌倉時代の唐物としては、禅宗の僧侶が天目茶碗などの唐物を携えて帰ってきたものでした。

 

そして、室町時代の唐物としては、明との勘合貿易によって多く輸入されたものでしたが、同朋衆と呼ばれる集団が唐物を鑑定・管理しました。
足利義教・義政の同朋衆で唐物奉行には、能阿弥・芸阿弥・相阿弥がいて、茶には、千阿弥(千利休の祖父)がいました。
特に、能阿弥は、足利義満の蒐集を東山御物として分類し、また、書院台子飾りを編み出しています。

 

やがて、天動説から地動説へのような、茶の湯に於けるコペルニクス的革命が起こり、唐物偏重の茶の湯に変革が試みられました。
「真」である書院台子の茶に対して、村田珠光が「草」である小座敷の草庵茶を作り出したのです。
それに伴い、道具立てにも変化が求められました。
つまり、草庵茶には、唐物はあまり相応しくなく、それを代替するものが求められたのです。
掛け物が唐物から禅僧の墨蹟になったり、茶杓が象牙や銀から竹になったりしたのです。

 

見立てとは、本来茶道具ではないものを茶道具として用いることです。
そもそも唐物茶入も中国では小壺として作られたものを茶入に見立てたものです。
白磁や青磁が中国では好まれていましたが、茶人が黒色の小壺を茶入にしたのでした。
しかし、天目茶碗は緑色が黒色に映えるという理由で中国人の目で喫茶に使われました。
草庵茶で、民窯の雑器を茶道具として取り入れました。
和物、高麗物、南蛮物などがそうです。

 

民芸運動に主張された用の美は、使うことに忠実に作られたものに自ずと生ずる自然で暖かみのある美しさのことです。
そして、柳宗悦、浅川伯教・巧兄弟は、高麗物を再発見しました。

 

高麗物には、井戸、三島、堅手などがあり、歪み茶碗が、茶人によって選別されています。

 

南蛮物には、芋頭、縄簾(安南)、ハンネラ(アユタヤ)、宋胡録があります。

 

千利休は、見立てだけではなく、好みという独自の茶道具を作らせて、自己の美意識を茶の湯に反映させました。
見立てには、魚籠の花入、信楽焼種壷水指があり、お好みには、楽茶碗、万代屋釜があります。

 

結論としては、書院の茶では唐物が偏重されていましたが、村田珠光が「草」である小座敷の草庵茶を生み出し、禅僧による墨蹟の掛け物や竹の茶杓などの、侘び茶に相応しい道具が導入されました。

そして、井戸や三島などの朝鮮民窯の雑器が高麗物の茶碗として、また、芋頭や縄簾などが南蛮物の水指や建水として、見立てにより唐物の代わりに用いられました。
更に、好みという独自の道具が茶の湯の自由度を増したのです。

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