■草庵茶室「盛美庵」のご紹介■
<ごあいさつ>
ようこそ、このサイトへお越しくださりました。盛美庵主、田島宗俊です。
盛美庵という名前を持つ茶室は、大阪市の京橋にある一般住宅に造られた京間4畳半の草庵風の茶席です。
いまどき、畳のある家が少なくなる中、本格的な茶室のある家は珍しいと言えます。このような場所で、代表的な日本文化である茶の湯・茶道を、茶会・茶事や稽古や座学などによって楽しんでいければよいと考えています。そして、文化の発信地としてのサロンになればよいと願っています。
<稽古>
現在、裏千家流の茶道の稽古場・茶道教室として、土曜日の午後に稽古ができるようになっています。
裏千家流の初級(入門、小習、茶箱)から中級(四ヶ伝)までの稽古をすることが可能です。未経験者・学生・生徒・児童の方でも参加できます。但し、お茶やお菓子などの水屋料が必要となります。
興味のある方は、「盛美庵 茶の湯日記 ブログ」というブログサイトの各記事にあるコメント欄を通じて連絡していただきたいと思います。この際、承認しなければコメントが外部に掲載されることはありません。
天井が落ち天井や駆け込み天井であったり、入り口も火頭型であったりと、現代生活では見慣れないものとなっています。そのため、日常生活から離れた一時を過ごすことができます。
そして、季節の道具を使うことで四季の移ろいを感じたり、禅語の掛け軸などで精神的な高みに上ったりすることで、豊かな情緒や感性が得られます。また、お菓子や抹茶を賞味する楽しみもあります。
このような空間を独占しているのはある意味もったいないことです。そこで、この盛美庵では多くの方々と時空間を共有したいと願っています。宜しくお願いします。
<イベント>
まだ具体的な動きには至っていませんが、盛美庵において何かしらのイベントが企画されることがあるかもしれません。その際には、改めてお知らせしたいと思います。
イベントとしては、一般の方も客として参加できる薄茶の茶会、特定の分野に秀でた先生をお招きしての講演とその添え釜茶会、カルトナージュの箱や大津袋の作り方教室などを予定しています。
<茶の湯の本質>
茶の湯とは、端的には、お茶を飲んで楽しむことです。そのためには、点て方・練り方、飲み方という作法があると再現性よく美味しいお茶を服することができます。そして、喫茶のための会合である茶会を円滑に進行させるルールとシステムが必要となります。
このような作法やルールを学んで実践できるようになることが、稽古です。従って、稽古自体が茶の湯ではありません。さりとて、稽古には稽古なりのおもしろさが潜んでいるのも事実です。それは実際に経験してなければ理解されません。
しかしながら、達人や名人になろうとすると、それなりの時間や労力を要するかもしれません。それが、茶の湯が茶道とも呼ばれる芸道であることの所以かもしれません。とはいうものの、必ずしも宗匠や茶頭にならなくとも、数寄者として茶の湯を楽しむことは可能です。数寄と好きの語源は同じです。
美味しいお茶を提供するためには、茶室や水屋というインフラであるハードだけではなく、おもてなしの心、趣向というソフトも重要となります。
このソフト性を磨けば、数寄者として茶の湯を享受することができるのではないでしょうか。その際、茶の湯という総合芸術の構成する建築、陶磁器、竹芸、木工、織物、書画などについての見識を深めていくと、更に楽しさが増すものです。
<茶の湯の歴史>
茶の湯の始まりは、中国の抹茶法による喫茶です。これが日本に伝えられ、中国で抹茶法が途絶えて煎茶法に移行しても、独自の発展を遂げて現在まで楽しまれ続けています。
始め、日本では、お茶は薬用や眠気覚ましとして飲まれていました。特に、公案を解く禅僧の間で好まれて飲まれました。
それが、やがて嗜好品として徐々に広まっていき、その飲み方も次第に変化していきました。
室町時代には、中国製の舶来道具である唐物を用いた書院茶が確立しました。これが、村田珠光、武野紹鴎によって段々と簡略化され、洗練された草庵茶となりました。更に、千利休によって佗茶が体系化されました。他方、武家茶も体系化されました。
そして、千利休の孫である千宗旦の3人の子供たちによって、表千家、裏千家、武者小路千家といういわゆる三千家が流派として確立されました。
現在でも、代表的な日本文化である茶の湯・茶道は、総合芸術として親しまれています。
<盛美庵の由来>
茶室に付けられた名前を庵号と言います。多くの場合、単純に命名されているのではなく、何かしらの謂われを持っているものです。家元から命名される事例も少なくはありません。
本庵の庵号は、魏徴が撰文して欧陽詢の書いた『九成宮醴泉銘』の中にある「国の盛美をして、典策に遺有らしむ可からず」という文言に依拠しています。
避暑に適した九成宮には良い水源がありませんでしたが、貞観6年(632年)、ここを訪れた唐代の太宗がその一画から湧き出す醴泉を見つけました。
これを瑞祥として湧泉の発見を記念するために立てた石碑が『九成宮醴泉銘』です。従って、「国の盛美をして、典策に遺有らしむ可からず」とは、国の瑞祥である醴泉湧出を記録に書き漏らしてはいけないということです。
つまり、盛美庵という庵号には、九成宮の醴泉と並ぶような美味しいお茶を供したいという願いが込められています。
そして、それは、C’est bien.というフランス語の音と意味にも通じます。
喫茶去。
<茶の湯と陰陽五行説>
茶の湯には、陰陽五行説という思想が深く根ざしています。そのため、現代人からすれば、理不尽と感じてしまう要素がなくもありません。陰と陰、陽と陽という組み合わせを避けて陰と陽の組み合わせにすることは、まさに陰陽五行説に従っています。
既に数百年の歴史を持つ裏千家流では、陰陽五行説に則り、前進・上方・右は陽として、他方、後進・下方・左は陰として認識されています。
さて、浮き世離れしているとも受け取られてしまいますが、茶室には「気」の場のエネルギーに満ちています。それは、風水をイメージすれば、感覚的に理解できると思います。
この「気」の場のエネルギーは、茶室の畳上の2次元平面において画一的・均一的なものではありません。茶道と禅は一体化していることを指す茶禅一味という言葉が具現化されている禅僧の墨跡の掛かっている床の前は最も「気」の場のエネルギーが高く、また、釜や茶入などの道具と関わりのある点前座もそのエネルギーが高くなっています。
逆に、にじり口や茶道口の前は、「気」の場のエネルギーが低くなっています。
そのため、「気」の場のエネルギーが上昇していく場合は右足を進め、反対に、下降していく場合は左足を進めていることになります。
従って、裏千家流では席入り後、畳の敷合せは右足で越え、反対に、退席するときは左足で越えるのです。始めたばかりの人は、足の運びに不慣れで、その運び方に疑問を抱くことがあるかもしれませんが、このような陰陽五行説が背景にあるのです。
このような摩訶不思議な側面を備えているため、茶の湯は非日常的な時空間へと私たちをいざなってくれるのかもしれません。
<九成宮醴泉銘>
全文を掲げたいところですが、省略させてもらいます。臨書のテクストなどを参照してください。
<結び>
盛美庵を今後とも宜しくお願い致します。