燕庵 庵号解読
燕庵(えんなん)は、藪内流の相伴席付三畳台目茶室で、元和1年(1581年)に、古田織部は大阪夏の陣に出陣する際、藪内剣仲に屋敷を譲りました。
この敷地内にあったのが、燕庵という茶室でした。
扁額の燕庵の字は、村田珠光によるものですが、千利休から剣仲に譲られました。
燕という字には、やすんじる、くつろぐ、という意味がありますので、珠光が形式的な茶の湯から、形式がやや崩れた茶の湯を企図した庵号であると考えられます。
特徴としては、三畳台目に一畳の相伴席があることです。
屋根は茅葺で、躙口の脇には、刀掛がありました。
また、床柱は杉、床の間は下座床で、窓がたくさん設けられています。
しかしながら、元治1年(1864年)の蛤御門の変で燕庵は焼けてしました。
そして、天保2年(1831年)頃に建てられた頃摂津有馬の武田儀右衛門の写しが慶応3年(1867年)に移築されて、現在まで至っています。
相伝を受けた者は、燕庵の写しを造ることが許される一方、本家が失われた際には、一番古い写しが家元の元に移築される習いになっています。
燕庵の庵号は、茶の湯における村田珠光の考えを示したものでした。
燕庵は、藪内流の象徴的な茶室であるので、一般公開はされていませんが、その機会はなくもないようです。