織部、遠州、石州という大茶人の茶杓師
珠光、紹鴎、利休には茶杓の下削りをした茶杓師が存在しました。
それ以降の茶人にも茶杓の下削りをした茶杓師がいました。
甫竹(ほちく) は、千利休と古田織部のもとで下削りをした茶杓師です。
和泉国の人で通称は重右衛門で、元は絹織を家業としていたようです。
そして、徳川秀忠の命で茶杓を幾度か献上しています。
筒には甫竹の丸印が押してあるようです。
早見頓斎(はやみとんさい) は、小堀遠州のもとで下削りをした茶杓師です。
速水頓斎と同一人物と思われますが、承応1年(1652年)に黒田忠之に乞われて、福岡に行って茶の湯の指南をしています。
村田一斎(むらたいっさい)は、小堀遠州のもとで下削りをした茶杓師です。
慶長12年(1607年)生まれの茶人で、天和3年(1683年)に亡くなります。
小堀遠州の高弟で、熊本藩主細川家の茶頭を務めました。
小堀遠州の後に茶の湯を牽引した片桐石州の作とされる茶杓は多く残されていますが、下削りをした茶杓師に関しては、それらしき人物は把握できませんでした。
現在の茶人にとって、山に入って良質な竹を切って持ってくること自体が難しくなっています。
その上、それを加工して樋の入った絶妙の部分を確保することも困難です。
従って、下削りの有り難みがよく理解されます。