2016年8月10日 / 最終更新日 : 2016年7月17日 sehbi-an 日記 長次郎も使った聚楽土 楽家1代の長次郎が千利休に請われて楽茶碗を焼いた土が、聚楽土と呼ばれる赤土でした。 豊臣秀吉が、現在の京都の上京区辺りに造営した実質的な城が聚楽第というもので、堀や石垣で囲まれていました。 天正14年(15 […]