デルフト焼
デルフト(Delft)焼は、オランダのデルフトで焼かれた陶器のことです。
15世紀末から16世紀に、イスラム陶器の技法がスペインのマジョリカ島からイタリアに伝わった、いわゆるマジョリカと呼ばれる陶器が発展しました。
そして、1500年、マジョリカの陶工キド・ダ・サビノ(Guido da Savino)がアントワープに移り、マジョリカの技法である錫釉色絵が伝えました。
それが、デルフトにも広まり、デルフト焼として興隆しました。
1568年から1648年にかけてオランダ独立戦争が起こり、北部7州はネーデルラント連邦共和国として実質的に独立して1581年にスペインの統治を否定し、1648年のヴェストファーレン条約で独立が認められました。
そして、1602年に中国製の染付がオランダにもたらされたようで、デルフト焼はその品質に追いつくべく技術の研鑽を重ね、デルフトブルーと呼ばれるものを産み出しました。
それから、明から清に代わる際に中国の輸出が停止すると、伊万里焼の技法も取り入れていきました。
他方、デルフト焼は、ヨーロッパだけではなく、中国や日本にも輸出されました。
江戸時代は、ヨーロッパで唯一国交があったのがオランダでした。
当時、デルフト焼の蓋置などが茶の湯で用いられました。
阿蘭陀写は、オランダのデルフト陶器を真似たものです。
現在でも阿蘭陀写が造られていますので、そのデザインをよく見てみるのも面白いと思われます。