薫風自南来

初夏の清々しい頃合いになりましたが、この時季によく茶席の床に掛けられる茶掛けがあります。

 

「薫風自南来」

 

爽やかな初夏の風が南からもたらされ、万緑の息吹が清々しく感じられる、ということです。
それは、自然そのものと対峙する無心の境地なのです。
くんぷうじなんらい、と言い慣わします。

 

「人皆苦炎熱
我愛夏日長
薫風自南来
殿閣生微涼」

 

(人は皆炎熱に苦しむも
我れ夏日の長きを愛す
薫風自南来
殿閣微涼を生ず)

 

(民は皆、ひどい暑さに苦しんでいるが、
私は、夏の長い日が好きである。
南からもたらされる清々しい風が吹き、
宮殿の部屋では涼やかな心持ちを感じさせる)

 

唐代の文帝が作った起承の二句に対して、文人の柳公権がそれを受けた二句を付け加えました。
宋代の圜悟克勤禅師がこの詩を『大慧普覺禪師語録』で取り上げています。

 

「僧問雲門。如何是諸佛出身處。門曰。東山水上行。若是天寧即不然。如何是諸佛出身處。薫風自南來、殿閣生微涼。向這裏忽然前後際斷。譬如一綟亂絲將刀一截截斷相似。當時通身汗出。雖然動相不生。卻坐在淨裸裸處得。一日去入室。」
(僧、雲門に問う、如何なるか是れ諸仏出身の処。門曰く、東山水上を行く。是の若し天寧は即ち然らず、如何なるか是れ諸仏出身の処。薫風自南来、殿閣微涼を生ず。)

修行僧が雲門に、仏はどこにいるのか尋ねたところ、東山という泰然とした山が水の上を流れていく、という超越した境地であると答えた。しかし、天寧だったら、そうは答えず、薫風自南来 殿閣微涼を生ず、と答えるだろう。これを聞いた大慧宗杲は、はっと悟ったのであった、
ということです。

 

炎熱を薫風と感じることができれば、それをあらゆる苦しみや悩みを克服したようなものです。

 

万緑の季節の中、薫風を満喫して過ごされてはいかがでしょうか。


 

 

 

 

 

「夏は来ぬ」

卯(う)の花の、匂う垣根に

時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて

忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ

 

さみだれの、そそぐ山田に

早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして

玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ

 

橘(たちばな)の、薫るのきばの

窓近く、蛍飛びかい

おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ

 

五月(さつき)やみ、蛍飛びかい

水鶏(くいな)鳴き、卯の花咲きて

早苗(さなえ)植えわたす、夏は来ぬ

 

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