漢作と漢作唐物と唐物

平安時代あたりから室町時代あたりにかけて中国から渡来した茶道具は、唐物と一般的に呼ばれています。

しかし、厳密には、とりわけ茶入に関して、漢作、唐物、漢作唐物というものがあり、実のところ、その定義はあいまいな部分があります。

 

漢作唐物とは、唐物の中でも古いもので、特に宋や元の時代に作られたもので出来のよいものを選別して指しているようです。

漢作唐物と漢作はほとんど同義と思われます。

 

また、唐物は、宋へ道元と共に行った加藤四郎左衛門景正が日本に帰る際に土と釉薬を持ち帰って、瀬戸の地で焼いたものであるという説もあります。

和作唐物ということになるでしょうか。

 

『古今名物類聚』に、「小壷を焼ことは元祖藤四郎をもつて鼻祖とする。藤四郎本名加藤四郎左衛門といふ。藤四郎は上下をはぶきて呼たるなるべし。後堀河帝貞応二年、永平寺の開山道元禅師に随て入唐し、唐土に在る事五年、陶器の法を伝得て、安貞元年八月帰朝す。唐土の土と薬と携帰りて、初て尾州瓶子窯にて焼たるを唐物と称す。倭土和薬にてやきたるを古瀬戸といふ。(中略)誠に唐土より渡たるものをば漢といふ。これは重宝せぬものなり、唐物と混ずべからず。」とあります。

 

しかし、加藤景正が実存したという確実な史料がなく、架空の人物の可能性もあります。

とはいうものの、宋からの帰国の時期と瀬戸焼の開窯の時期は、考古学的にほぼ一致しています。

 

また、漢作と唐物では作り方が違うという説もあります。

 

茶入以外の茶道具との整合性を考えると、唐物は平安時代あたりから室町時代あたりにかけて中国から渡来したものとするのが自然と思われます。

そして、漢作や漢作唐物とは、宋や元の時代に作られた唐物の茶入ということになるのでしょうか。

学者の研究成果を待ちたいと思います。

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