大綱宗彦
大綱宗彦(だいこうそうげん)は、安永1年(1772年)に京都に生まれ、安政7年(1860年)に亡くなりました。
大徳寺435世であり、大徳寺塔頭黄梅院第14世住職でした。
6歳で黄梅院に入り、大徳寺409世で梅院第13世住職である融谷宗通に師事しました。
そして、文政3年(1820年)に、大徳寺435世に就任しました。
和歌や茶の湯にとても秀でていました。
裏千家11代家元玄々斎、表千家10代家元吸江斎、武者小路千家7代家元以心斎と交流がありました。
更に、関白鷹司政通、内大臣近衛忠煕、左大臣九条尚忠らのような公家とも親しかったようです。
越後出身の豪商であり、茶人である松村宗悦とも親交がありました。
それから、永楽保全の参禅の師でもあります。
京都の織屋の沢井宗梅の子であった永楽保全は大綱宗彦のもとで喝食でしたが、13歳頃に永楽了全の養子となりました。
こうしてみると、茶の湯に関して重要な役割を果たしていたと考えられます。
日記には『空華室日記』があり、和歌集には『大綱遺詠』があります。
「曳く人も 曳かれる人も 水の泡の浮世なりけり 淀の川舟」という歌は有名です。
大綱宗彦禅師の和歌や画賛などが多く残されています。
お目に掛かる機会もあるかもしれません。