乞食宗旦

千家3代、宗旦は、千利休の孫です。
天正6年(1578年)に生まれ、万治1年(1658年)に、81歳で没しました。

 

祖父の利休が権力者豊臣秀吉によって切腹させられ、その結果、父、千家2代少庵は会津の蒲生氏郷の元に一時的に身を寄せた後、氏郷や徳川家康の取り計らいで、千家再興が果たされるなど、権力に近づくことの弊害を間近で見ていたため、宗旦はどこにも出仕することなく、清貧とは聞こえが宜しいですが、かなり苦しい生活をしていたようです。
そのため、乞食宗旦と呼ばれています。

 

宗旦の時代は、京都を中心にした、寛永文化という文人墨客が集うサロン文化が華やかでした。
京都所司代の板倉家の屋敷サロン、鹿苑寺サロン、中核となる後水尾上皇の仙洞御所サロンが有名でした。
宗旦はこれらのサロンに参加していて、当時の一流の文化人と交わったのでした。

 

寛永期は、小堀遠州を中心とした大名茶が盛んな時代でしたが、宗旦は利休の侘び茶に徹したのでした。

 

どこにも出仕しなかった宗旦でしたが、息子たちの仕官先を探すのに奔走しました。
その結果、三男江岑宗左は紀州徳川家、四男仙叟宗室は加賀前田家、次男一翁宗守高松松平家の仕官が適います。
不審庵、今日庵、又隠、寒雲亭など、様式の異なる茶室を造っています。

 

権力とは無縁の生き方には潔さを感じます。
その生き様を見習いたいと思います。

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