一楽二萩三唐津の唐津

一楽二萩三唐津

 

このように、茶人の好む茶碗の順番とされているように、萩焼も、楽焼、唐津焼と同様に、好まれています。

 

唐津焼の特徴は、作り手八分、使い手二分というように、8割の出来で、後の2割は使い手の使い方に任されています。
また、「砂目(すなめ)」という粗い土味で、素朴さを備えた焼き物です。

 

唐津焼は、肥後国の各地の諸窯で焼かれたものです。
これは、中国の民窯である磁州窯系に近い形態かもしれません。

 

以前は、朝鮮出兵の文禄・慶長の役の際、朝鮮の陶工が日本に連れて来られてから、唐津焼が始まったとされていましたが、それ以前の1580年代には始まっていたようです。

 

天正20年(1592)銘の四耳壺(しじこ)が長崎県壱岐島の聖母(しようも)神社に所蔵されています。

 

そして、文禄・慶長の役の際に渡来した朝鮮の陶工により新たに開窯で、全体の規模が拡大して、元和(1615~1624)頃に最盛期を迎えました。

 

絵唐津、朝鮮唐津、斑唐津、三島唐津、粉引唐津など、多彩な手法のものが焼かれました。

 

明治以降、唐津焼は一時期衰退しましたが、12代中里太郎右衛門(中里無庵)は、重要無形文化財保持者として活躍し、再興させました。

 

古唐津の陶片に肴を載せての一献もいいものです。

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