利斎 駒沢家
駒沢家は、千家十職に名を連ねる指物師です。
当主は、4代目以降、代々、利斎を襲名しています。
初代宗源(生没年未詳)理右衛門
二代宗慶(寛永5年(1628年)-元禄6年(1693年))理右衛門
三代長慶(? -貞享3年(1686年))理右衛門、利兵衛
四代利斎(延宝1年(1673年)-延享3年(1746年))
五代利斎(宝永4年(1707年)-宝暦14年(1764年))
六代利斎(元文4年(1739年)-享和3年(1803年))
七代利斎(明和7年(1770年)-安政2年(1855年))
八代利斎(寛政8年(1796年)-弘化3年(1846年))
九代利斎(文化14年(1817年)-文久2年(1862年))
十代利斎(天保12年(1841年)-慶応2年(1866年))
十一代利斎(嘉永3年(1850年)-明治35年(1902年))
十二代利斎(明治9年(1876年)-明治29年(1896年))
十三代利斎(明治16年(1883年)-昭和27年(1952年))
十四代尼利斎(明治41年(1908年)-昭和52年(1977年))
初代宗源が延宝年間に指物業を始めました。
4代利斎のときに、表千家6代家元である覚々斎に認められ、利斎の名を与えられました。
7代利斎は、表千家9代家元である了々斎から曲尺亭の号をもらい、表千家10代家元である吸江斎から少斎」の号もらい、中興の祖とされています。
14代の甥にあたり駒沢家後見である吉田一三の息子である博三が15代を襲名するべく現在修行中です。
モロッコの食料入れ籠にヒントを得て造った白木菓子器はなかなかの出来です。