忘筌 庵号解読
忘筌は、大徳寺塔頭である孤篷庵にある小堀遠州の晩年作の茶室で、重要文化財となっています。
孤篷庵は、元は龍光院の中に小堀遠州が江月宗玩を開祖として慶長17年(1612年)に建てた庵でしたが、寛永20年(1643年)に独立して現在の地に移りました。
しかし、寛政5年(1793年)に全て消失してしまいました。
松平不昧の援助で忠実に再建されました。
忘筌は、11畳に1畳の点前座のある12畳で、その内、3畳は相伴席となった構成です。
書院式茶室の完成形とも言えるもので、一間床に角柱の床柱が据えられ、長押を内回しており、広縁に高欄が付けられたりしています。
明かり障子が上半分だけで、下半分は吹き抜けとなっていて露地が見えます。
これを「舟入りの構成」と称しています。
また、天井は、砂摺(すなずり)天井で、緩急のある造りとなっています。
『荘子』外物篇の「筌ハ魚ヲ在ウル所以。魚ヲ得テ筌ヲ忘ル。蹄ハ兎ヲ在ウル所以。兎ヲ得テ蹄ヲ忘ル。言ハ意ヲ在ウル所以。意ヲ得テ言ヲ忘ル。」という言葉から忘筌という庵号が付けられました。
筌とは魚を捕る道具で、魚を捕ってしまえば必要はなくなるものです。
それでは、意ヲ得テ言ヲ忘ル、とは一体どういうことでしょうか。
孤篷庵は普段は非公開ですが、初秋に10日くらい、公開するときがあります。
その機会に訪れてみたいと思います。