浄益 中川家

中川家は、千家十職に名を連ねる金物師で、薬鑵、建水、灰匙、火箸、蓋置、五徳、キセル、菓子器、鉄瓶、鐶などの金工の茶道具を製作しています。

 

当主は、代々、浄益を襲名しています。

 

初代紹益、(永禄2年(1559年)-元和8年(1622年))

二代浄益、(文禄2年(1593年)-寛文10年(1670年))

三代浄益、(正保3年(1646年)-享保3年(1718年))

四代浄益、(明暦4年(1658年)-宝暦11年(1761年))

五代浄益、(享保9年(1724年)-寛政3年(1791年))

六代浄益、(明和3年(1766年)-天保4年(1833年))

七代浄益、(寛政8年(1796年)-安政6年(1859年))

八代浄益、(天保1年(1830年)-明治10年(1877年))

九代浄益、(嘉永2年(1849年)-明治44年(1911年))

十代浄益、(明治13年(1880年)-昭和15年(1940年))

十一代浄益、(大正9年(1920年)-平成20年(2008年))

十二代、空席

 

元々、中川家は越後国で甲冑や鎧を製作していましたが、初代紹益が千利休の依頼で薬罐を造ったことが茶道具製作の始まりとなりました。

 

二代浄益の寛永年間に、三千家に正式に出入りするようになります。

また、紹益から浄益と名を改めています。

 

三代浄益は、銅と錫と鉛の合金である砂張で優れた道具を製作しました。

 

七代浄益は、書付にいがみが見られるためにいがみ浄益とも呼ばれ、砂張打物の名品を生み出すなど、天明の大火後、中興の祖として活躍します。

 

明治維新や第2次世界大戦という、金工の茶道具を製作する金物師としては、厳しかった時勢を乗り越えてきました。

現在、12代は空席となっているようですが、今後の活躍を期待したいと思います。

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