高取焼

高取焼は、福岡の焼き物で、遠州七窯の1つに数えられ、黒田藩御用窯でした。

 

黒田長政が朝鮮出兵の際に招聘した陶工八山(やさん)によって、慶長5年(1600年)に築窯された永満寺窯から始まりました。

 

黒田長政により鷹取山から取った高取の姓をもらい、以後、高取八山を名乗ります。

内ヶ磯窯、山田窯、白旗山窯を窯を移し、二代が鼓窯を築きました。

 

二代藩主黒田忠之は、小堀遠州と交流があり、遠州好みのものが焼かれ、遠州七窯として世に知られることになりました。

実際、初代高取八山親子を小堀遠州のもとに遣わせています。

 

小堀遠州の美的価値観で選ばれた中興名物が高取焼には幾つかあります。

初代と二代によって作られたものです。

 

中興名物 茶入 銘 横嶽

銘は「染川」「秋の夜」よりも優れているので、九州の名勝横嶽に因んでいます。

 

中興名物 茶入 銘 手枕

『名物目利聞書』に「小振にて枕の如く云々」とあるように、銘は形に因んでいます。

 

中興名物 茶入 銘 染川

銘は次の歌に因んでいます。

「染川に渡らむ人のいかでかは色になるてふことのなからむ」

『伊勢物語』

 

中興名物 茶入 銘 秋の夜

銘は次の歌に因んでいます。

「秋の夜の千代を一夜になぞらへて八千代し寝ばや飽く時のあらむ」

『伊勢物語』

 

以後も、高取焼宗家として、一子相伝による直系で、廃藩置県以降も、現在まで作陶を続けています。

 

高取焼の中興名物が以外と多くあることは焼物の品質や価値を保証するものと考えられます。

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