志戸呂焼

遠州七窯の1つである志戸呂焼(しとろやき、しどろやき)は、静岡県島田市金谷にある窯で、かつて、遠江国質侶庄金屋郷と呼ばれた場所にあることから、その名があります。

 

開窯に関しては、不明な点も多いですが、平安時代から鎌倉時代にかけて、きつね沢古窯などの発掘により、既に焼かれていました。

 

やがて、寛永年間(1624-1643年)に、小堀遠州の意匠を導入することで、遠州七窯の1つに数え上げられるようになりました。

 

刻銘は、裏に「祖母懐」、「祖母懐加藤四郎」、「姥懐」とありますが、享保年間(1716-1736)から「志戸呂」と刻銘されるようになりました。

 

特徴としては、鉄分を多く含む釉薬が使われ、飴釉に黄色みが掛かった侘びた風情の焼き物が多いです。

 

江戸時代を通じて、江戸幕府と掛川藩の庇護の下、江戸にも製品を送っていました。

また、お茶の産地が近く、茶壺も好んで焼かれました。

 

明治維新で、後ろ盾の江戸幕府と掛川藩がなくなり、また、鉄道の普及で瀬戸焼や美濃焼などの流通が拡大すると、少し停滞したようです。

しかし、現在でも、幾つかの窯元が志戸呂焼を焼いています。

 

それでは、志戸呂焼の侘びた茶道具を使って、お茶を点ててみてはいかがでしょうか。

小堀遠州の好んだ茶道具で飲むお茶は、格別と思われます。

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