井伊直弼
井伊直弼は、文化12年(1815年)に彦根で生まれ、安政7年(1860年)に江戸で亡くなっています。
井伊家13代藩主である直中の14男として、しかも側室の子として生まれたため、藩主になれるどころか、養子先を見付けるのもままならない状態でした。
つまり、17歳から15年間、埋木舎(うもれぎのや)と呼ばれた屋敷で、部屋住みとして暮らしていました。
この時期、武芸や文芸に勤しんでいました。
中でも、茶の湯に深く傾倒して、石州流に一派を作るまで熟達しました。
埋木舎には、澍露軒(じゅろけん)という茶室があり、ここで研鑽を積みました。
石州流一会派として、現在まで続いています。
安政4年(1857年)に『茶湯一会集』という茶書を著しました。
この著作によって、『山上宗二記』の中にある「一期に一度の会」、いわゆる、一期一会という考えを改めて世に知らしめました。
「抑(そもそも)、茶湯の交会は、一期一会といひて、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を弁(わきま)へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、是を一期一会といふ。」『茶湯一会集』
安政の大獄や桜田門外の変のイメージが強い井伊直弼ですが、茶の湯にとても精通していた数寄者でした。
お好みの十二月次棗を見ると、その感性が分かります。