膳所焼
遠州七窯の1つである膳所焼は、滋賀県大津市に窯があり、薄作りで、黒褐色の鉄釉が特徴的です。
元和7年(1621年)に膳所城主の菅沼定芳が御用窯として始めたものと言われています。
菅沼定芳は、小堀遠州らの文化人と交流がありました。
しかし、それ以前に膳所焼に繋がる焼き物が焼かれていたようで、開窯は慶長年間(1596-1615年)頃と考えられています。
勢田焼は、膳所焼の前身と考えられ、『駿府御分物御道具帳』で元和2年(1616年)に勢田焼壺として登場するのが初出で、元和から寛永の会記に勢田焼の茶入や水指が記されています。
膳所焼が文献で初めて登場するのは、『本光国師日記』の寛永6年(1629年)9月26日の記述に、「せゝやきちゃわん」の名が出てきます。
膳所窯としては、国分窯・大江窯があり、前身の勢田焼は大江窯で焼かれていたようです。
そして、菅沼定芳の国替えに伴い、次ぎに藩主となったのは石川忠総で、寛永11年(1634年)のことでした。
石川忠総は小堀遠州と親交があり、膳所焼には遠州好みの要素が入っていきました。
石川忠総の死後、膳所焼は衰退して明治期には窯跡が残るのみになりました。
それが、大正8年(1919年)、岩崎健三により、日本画家の山元春挙と膳所焼を再興して、陽炎園という工房を作りました。
膳所焼美術館では、江戸時代以来の古膳所焼などが展示されていますので、是非、訪れてはいかがでしょうか。