堀越宗円

女性として初めて老分となった堀越宗円は、明治25年(1892年)に生まれ、昭和53年(1978年)になくなりました。

松方正義の5女梅子で慶応義塾出身の実業家である堀越角次郎と結婚しました。

東京で円能斎の門下となり、円の字を茶名に頂いています。

 

益田鈍翁とも親交があり、その所持する名品や周りにいる茶人と接する機会に恵まれました。

 

千宗旦の建てた茶室である寒雲亭は、天明8年(1788年)に焼失しますが、再建されます。

やがて裏千家から東京の久松家、鎌倉材木座の堀越家を経て、昭和35年(1960年)に東慶寺に移築されました。

扁額の寒雲の筆で、東福門院から拝領した櫛形の欄間が設えてあります。

また、狩野探幽の描いた「八仙人の手違いの襖」は、堀越宗円により裏千家に戻されたものです。

この名は、1人の仙人の手の左右を書き間違えたことに因ります。

 

蕾会を創設して茶の湯の普及に努めました。

そして、その30周年記念に銀梅花蓋置を製作させています。

 

昭和28年(1953年)に女性として初めて裏千家の老分に任命されました。

 

お好みの茶器を渡辺喜三郎や守屋松亭に造らせたりしています。

機会があれば実物を見てみたいものです。

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堀越宗円” に対して 2 件のコメントがあります

  1. tamon より:

    初めまして
    堀越宗圓さんを検索して、たどり着きました。
    いろいろ拝見していきますので、
    よろしくお願い致します。

    1. sehbi-an より:

      コメントありがとうございます。堀越宗圓さんを改めて勉強し直したいと思います。今後とも宜しくお願い致します。

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