新島八重
NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公となったため、多くの人がご存じと思います。
新島八重は、弘化2年(1845年)に会津で生まれ、 昭和7年(1932年)に亡くなっています。
会津藩蘭学所の教授であった川崎尚之助と八重と結婚しました。
しかし、戊辰戦争で八重も銃で参戦しましたが、会津は敗れ、夫の尚之助は新政府軍に捕らえられました。
そして、2人は離婚することになります。
八重は、京都府顧問となっていた兄の山本覚馬を頼って明治4年(1871年)に京都へ出ます。
そこで、明治4年(1872年)から明治7年(1875年)11月まで、新英学校女紅場で権舎長兼教導試補として働きました。
明治7年(1875年)10月に新島襄と婚約して、明治9年(1877年)に結婚しました。
その間、明治7年(1875年)11月に同志社英学校が開校しています。
明治23年(1890年)の襄の死の年に、日本赤十字社の正社員となり、看護活動に励みました。
明治27年(1894年)、裏千家13代円能斎に入門して茶道を始めました。
宗竹という茶名を頂き、門人に茶道を教えました。
茶の湯との出会いは、女紅場であると思われます。
いわゆる新しい女の先駆けと言えると思われます。
京都や会津若松に行った際は、八重の足跡を辿るのもよいでしょう。