芦屋釜
茶の湯で有名な芦屋釜は、現在の福岡県遠賀郡芦屋町の地の周辺において、鎌倉時代末期頃から製作されるようになった釜の総称です。
そして、室町時代になるととても隆盛しました。
しかし、天文12年(1551)に、陶晴賢によって大内氏が滅ぼされてその庇護がなくなると、次第に衰えていき、桃山時代には京釜に押されて、江戸時代初期には釜の製作は終了したようです。
室町時代末期の有名な釜師に大江宣秀がおり、根津美術館にある重要文化財「松梅図真形釜 (永正14年(1517年)銘)」を残しています。
また、大内氏が滅亡した際、職人が各地に散って博多,播磨,伊勢などにその分派が形成されました。
特徴としては、芦屋釜の形は、真形釜が多いです。
鐶付は鬼面がほとんどですが、獅子面もあります。
鉄肌は、鯰肌というつるつるなものです。
地紋として松竹梅,花鳥,馬,山水図、州浜などが描かれていますが、大内氏が庇護した雪舟の水墨画の影響があるようです。
実際、雪舟が下絵を描いたとされる釜も存在しています。
桃山時代以前に造られたものを古芦屋と呼びます。
そして、重要文化財となっている釜の9個中、8個がこの古芦屋釜なのです。
「芦屋楓流水鶏図真形」はその1つで、現在、九州国立博物館が収蔵しています。
茶会で芦屋釜が使われているのに遭遇することもあるかもしれません。
その際は、古の釜の趣を味わってください。