露地
梅雨の雨によって露地の苔が鮮やかな時季になりました。
露地とは茶室に付随した庭のことで、ここを通って躙り口から茶室に入ります。
飛石、畳石、蹲踞、石灯籠、腰掛け、植栽などから構成されます。
市中の山居を具現化するための茶席に備えられた装置です。
一般的な露地は、二重露地という形式で、中門の隔てられた外露地と内露地とに分けられます。
外露地には雪隠、腰掛待合があり、内露地には蹲踞、石灯籠、塵穴があります。
千利休の頃までは、外露地と内露地の区別のない一重露地でした。
『山上宗二記』によれば、紹鴎座敷の指図に書かれた紹鴎四畳半には、茶室への通路である「脇ノ坪ノ内」と、茶室への採光や通風のための「面坪ノ内」という庭が付随していました。
そして、古田織部の頃になると、二重露地が現れました。
『松屋茶湯秘抄』には、「慶長八九年比二重路地ニ織部殿仕初給ナリ」とあります。
慶長9年(1604年)は、利休が切腹した天正19年2月28日(1591年4月21日)よりも後になります。
やがて、古田織部、小堀遠州の頃に、外露地と内露地の間に中露地を加えた三重露地が登場しました。
剣仲紹智が織部から譲り受けた茶室「燕庵」は三重露地となっています。
それでは、露地で雑念を払って塵穴に落とし、茶室に入ることにしましょうか。