武野紹鴎

村田珠光の創始した侘び茶を発展させた武野紹鴎は、文亀2年(1502年)に生まれ、弘治元年(1555年)に没しています。

 

紹鴎茄子に代表される名物を60種も所有するほどの豪商でした。

 

堺において父である信久の代から皮屋を屋号とする商いによって、武具甲冑に必要な皮革などを扱っていました。

それにより巨万の富を蓄え、名物を多く所有できたのです。

 

また、24歳に京に出て、京都の四条に茶室大黒庵を営みました。

そこの隣には、菊水の井のあった夷堂がありました。

 

古典・和歌を三条西実隆から学び、茶の湯を村田珠光の門人であった村田宗珠、藤田宗理、十四屋宗陳、十四屋宗悟らに学びました。

 

31歳で出家して紹鴎と号しました。

 

更に、堺にある南宗寺を開いた大林宗套に参禅して、茶禅一味の心境を確立しました。

 

竹を削って節止め茶杓を作ったり、青竹を切って蓋置にしたりして、侘び茶の発展に寄与しました。

そして、千利休、今井宗久、津田宗及らの門人がいて、まさに侘び茶を継承したのです。

 

『南方録』では、武野紹鴎の茶の境地を表した和歌として、以下の藤原定家の歌を挙げています。

 

「みわたせば 花ももみぢも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮」

 

このように、村田珠光は侘び茶の発展に重要な役割を果たしたことが分かりました。

 

財力があると事をなす可能性が高くなるようですが、まずは侘びを楽しみたいと思います。

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