正座なしの椅子と机の点前 立礼

立礼とは、椅子と机を使う点前で、畳の上に正座することなく、茶の湯を楽しむことができます。

 

明治維新による文明開化で、廃仏毀釈のように旧来の文化が背を向けられていた世相の中で、大名という後ろ盾をなくした茶の湯も例外ではありませんでした。
西欧流が盛んになる中、茶の湯も変革を求められたのであります。

 

裏千家11代玄々斎は、明治5年(1872年)の京都内国博覧会で立礼を初めて実用化し、野点席で海外などからの方たちをおもてなし
しました。
京都内国博覧会は、明治5年から同9年まで行われましたが、明治8年には都踊りでの舞妓による呈茶が始められたようで、これは点茶盤を使った立礼式でした。
二度目の茶家の参加となる明治9年の第5回の会で、玄々斎は、立礼ではない点前を行いましたが、このときの茶杓は、光格天皇御自作、銘幾千代でした。

 

玄々斎の立礼の着想はもっと早くからあったようです。
『芳名記聞』という玄々斎の言うことを再度質問して明治1年にまとめた7冊の書物の巻1に、「立礼点茶法式略誌」というのがあって、点茶盤を使った点前が記されています。
また、玄々斎は「申 首夏」と書かれた立礼式の喫架と円椅の図を残していますが、この申年は、万延1年(1860年)と思われます。

 

現在、西欧化が進むだけではなく、畳のない家が多くなっていますが、玄々斎の立礼への先見性にはまったく驚かされます。

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