密庵 庵号解読

密庵(みったん)は、国宝になっている茶室で、大徳寺の塔頭である龍光院にあります。
黒田長政が父の如水(孝高)の墓を建てるとともに、方丈、書院、庫裏を建てて、慶長13年(1608年)に春屋宗園を開基としたのが龍光院の始まりで、龍光院の名は、如水の院号に因んでいます。

 

この龍光院には、これまた国宝となっている曜変天目の他にも国宝や重要文化財が多数あります。
慶長16年(1611年)に春屋宗園の亡くなった後、津田宗及の子である江月宗玩が跡を継いだことが多くの宝物の伝わった理由と思われます。
そして、この中に、密庵咸傑の墨蹟も含まれていたと考えられます。

 

この密庵咸傑の墨蹟を掛ける床として、その墨跡の幅に合わせた、奥行きのない幅広の床を設けた茶室が造られました。
書院床であるこの床は、密庵床と呼ばれ、これとは別に茶室には床が設けられています。

 

遠州好みと伝えられる密庵は、四畳半台目の書院風の茶室で、床、違棚に加えて、密庵床、棚があるという斬新さを備えていますが、いわゆる草の設えが随所にあり、全体として不可思議な雰囲気が感じられます。

 

龍光院は、一般公開されることのない塔頭ですが、ここにある茶室の庵号は、寺宝である密庵禅師の墨跡に因るものでした。

 

大徳寺に参った際、龍光院の前を通るときに、密庵などに思いを馳せてみるのもおもしろいかもしれません。

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