謎の竹芸家 成瀬宗巨

成瀬宗巨という竹芸家がいますが、その人となりはよくわかりません。
明治33年(1901年)に生まれましたが、没年は不明です。
生まれた場所など、分からない点が多いです。
名古屋で活躍されていたようです。

一時期、東京にも在住していたという情報もあり、この際、当時の川崎大師の管長と親交があったようです。
九十一翁という91歳の作品が残されていますので、とても長生きなされたようです。
高齢でも積極的に作品作りに励んでいたことになります。

竹芸家ですので、茶杓以外にも香合、蓋置、菓子器も作製しています。

俳優の片岡鶴太郎が好んで彼の茶杓を自身の茶会で用いています。
その1つに銘、日々好日があります。
また、各地の茶会の会記にも、宗巨作の茶杓がしばしば登場します。

1992年6月号の「なごみ」(p.83)には節下の黒味に細かい青貝が施されて蛍を表した蛍という銘の茶杓が陶芸研究家の杉浦澄子さんの薄茶席の茶会記に登場しますが、この時、90歳です。

彼の削った多くの茶杓を見るととても緻密に作り込まれている観があります。

概して、細身の茶杓です。
中には、非常に凝った茶杓の筒もあり、凝り性だったようです。
例えば、傘寿を記念して削った銘、煙雨という茶杓の共筒は、傘を模したものです。

茶筒の箱は、藍色の木綿の紐で、二代と三代の池田瓢阿が鹿革の紐であることとは対照的です。

墨書きを見ると非常に達筆で、自分で詠んだと思われる和歌や俳句が添えられています。

また、西行、与謝蕪村、池西言水などの和歌や俳句も書かれています。

従って、教養を備えていたことが窺えます。

作品に添えられた井口禅定の紹介文を読むと、夫人は木彫り、令嬢は彫金作家として伝統工芸展に入賞するほどであったそうです。

人前にはあまり出なかったようですが、実のところ、新宿の百貨店で一度、作品展を開催しています。

誰か、宗巨に関して詳細なことをお存知の方がいらっしゃったら、ご協力、お願いします。

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