不審庵の庵号解読

茶道の三千家のひとつである表千家に、不審庵という茶室があります。
表千家の別称ともなっているように、表千家にとって非常に重要な茶室です。

 

現在、表千家にある不審庵は三畳台目ですが、今に至るまで数度か設計を見直され、建て替えられています。

 

最初、千利休は大徳寺門前屋敷に、四畳半の茶室を作り、千利休に庵号を求められた古渓宗陳は、
「不審花開今日春」
(不審にして花開く今日の春)
(不思議なことだ、春の今日の日にこうして花が咲くのが)
という禅語から、不審庵という庵号を付けました。
そして、更に、古渓宗陳筆の扁額が掲げられました。

 

しかし、千利休は天正19年(1591年)2月28日に 切腹し、次男の千家二代である少庵は、一時期、会津の蒲生氏郷のもとに身を寄せますが、やがて許されて、京都で本法寺前の地に千家を再興します。
それから、千家三代である宗旦が寛永10年(1633年)頃に、 床なしの一畳台目の茶室を作り、不審庵と称しました。
そして、江岑宗左の代になると、不審庵は三畳台目に建て替えられました。

 

不審とは、いぶかしく思うこと、不思議に思うことで、人智の及ばない自然の偉大さや不思議さに対する畏敬の念や感動の念を表現しています。

 

自然への畏敬をとかく忘れがちな現代人に、改めて自然について考えさせる庵号です。

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