官休庵の庵号解読

茶道の三千家のひとつである武者小路千家に、官休庵という茶室があります。
武者小路千家の別称ともなっているように、武者小路千家にとって非常に重要な茶室です。

 

官休庵は、床付きの一畳台目の草庵茶室で、千家三代宗旦の次男である一翁宗守により建てられました。

 

一翁宗守は、当初、吉岡甚右衛門と名乗って塗り師として 働いていましたが、兄弟に説かれて還暦前に千家に戻りました。
寛文6年(1666年)、一翁宗守は讃岐国高松藩の松平頼重のもとで 茶頭として仕えるも、翌年には高齢を理由に息子の文叔宗守にその役目を譲ります。

 

官休庵は、一翁宗守が讃岐高松藩の茶頭を辞した後に、 寛文7(1667年)頃に建てられたようです。
一翁宗守は、文禄2年(1593年)に生まれ、延宝3年(1675年)に亡くなっているので、晩年に建てられた茶室になります。

 

安永3年(1774年)、一翁宗守の百年忌の時に大徳寺第390世眞巌宗乗和尚により書かれた頌には
「古人云官因老病休 翁者蓋因茶休也歟」
(茶に専念するために官職の茶道指南を辞めたのであろう)
とあり、庵号の謂れとされています。

 

庵号の官休庵は宗旦により付けられたと伝えられており、現在でも宗旦筆の扁額が掲げられています。
しかし、宗旦は万治1年(1658年)に亡くなっているので、疑問が生じてきますが、ここではあまり触れないことにします。

 

いずれにしても、茶の湯に専心しようという意気込みが庵号に込められていると思われます。
茶の湯三昧の日々が送れたらとても素晴らしいことでしょう。

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