如庵 庵号解読
国宝になっている茶室如庵を造った織田有楽斎は、織田信長の弟になります。
すなわち、織田信秀の11男として天文16年(1547年)に生まれ、元和7年(1622年)に没しました。
東京の有楽町は彼にちなんでいるとも言われています。
有楽斎は、京都にある建仁寺の正伝院に元和4年(1618年)、如庵という二畳半台目向切の草庵茶室を造りました。
床脇には三角形の地板である鱗板が嵌められ、その箇所は壁が斜めになっています。
また、炉縁の角に中柱を立て、火灯形に袖壁の炉側がくり抜かれています。
有楽窓という竹を隙間なく並べた連子窓、古い暦の紙を壁に貼った暦張りが知られています。
如庵の名は、クリスチャンネームであるJoan、ないしは、Johanに因っていると言われていますが、実のところ、定かではありません。
明治41年(1906年)になると、三井家の所有となり、東京の三井邸に移築されました。
更に、昭和13年(1938年)に、大磯の三井家別荘に移築されました。
昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
その後、名古屋鉄道に売却され、愛知県犬山市に、昭和47年(1972年)、移築されました。
流転の茶室である如庵は、現在、犬山城下の有楽苑に漸く落ち着いています。
普段は非公開ですが、毎月1回、一般の方にも公開されているそうです。
訪れてみてはいかがでしょうか。