借景 明日香
「大和の道」 西脇順三郎
私は飛鳥のあたりを一人で歩いてみる。飛鳥川がせまくなって山の下を流れるきたない岩のある渓谷となり、小学生のズックの運動ぐつやブリキのかんづめなどがせせらぎに見えるところを歩きながら考えてみる。近くには橘寺があり、春などには、その辺の田道にはレンゲ草やスミレが咲いている。しかし私は昔この辺にどういう風をした日本人がどんな日本語を使っていたかを考えると感無量である。どんな病気で薬師をおがんでいたのか考えてみると美術がどうのこうのと議論することよりも感深い思いがする。大和の道を歩いていても一種の歴史的な意味で気味がわるくなる。ものすごい「土地の精」というものを意識する。
本日は、2017関西合同三田会奈良大会のエクスカーションである「まほろばソムリエと巡る晩秋の飛鳥路」に参加してきました。
貸し切りバスでの移動であるので、普段行くことのできないところにも行くことができました。
日本という国家が誕生した当時に思いを馳せると感慨深いものがあります。