幕末の三筆

幕末の三筆とは、巻菱湖(まきりょうこ),市河米庵,貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))のことです。

 

三筆、三蹟、寛政の三筆、黄檗の三筆以外にも、歴史に名を残す書家がいるのです。

 

巻菱湖は、安永6年(1777年)に越後国巻で生まれ、天保14年(1843年)に亡くなっています。

19歳で江戸に出て亀田鵬斎に師事し、書と詩を学びました。

そして、31歳で蕭遠堂という書塾を開き、門下生は1万人を越えたと伝えられています。

篆書、隷書、楷書、行書、草書、仮名、飛白という7書体に精通していました。

その書風は、菱湖流と呼ばれています。

現在、将棋の駒の書体として菱湖流の書体が使われていて、タイトル戦の駒としてしばしば採用されています。

 

市河米庵は、安永8年(1779年)に漢詩人の市河寛斎の長子として生まれ、 安政5年(1858年)に亡くなりました。

長崎で明や清の書を学び、清の胡兆新に師事しました。

20歳で小山林堂という書塾を開き、門下生は5千人に達したそうです。

そして、米庵流を創始しました。

父の跡を継いで、文化8年(1811年)に富山藩前田家に仕え、文政4年(1821年)に加賀藩前田家に仕えました。

 

貫名海屋は、安永7年(1778年)に阿波で生まれ、文久3年 (1863年)に亡くなりました。

少年期に、西宣行に師事して書を学びました。

22歳で懐徳堂に入り、儒教や史学を学びました。

やがて、京都で須静塾という塾を開き、朱子学などを教えました。

 

将棋の駒の書体がどんなものか確認してみるのも楽しいかもしれません。

その後は、学問の偉大さを感じつつ、1局、指してみてはいかがでしょうか。

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