利休百首ならぬ、ニーチェ百首 第2首
フリードリヒ・ニーチェ(1844年-1900年)は、ドイツの哲学者で、「神は死んだ」というようなキリスト教の神を超越することを主張し、ニヒリズムを展開しました。
哲学者としてとても著名なニーチェは、様々な機知に富む言葉を残してくれました。
「いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、まず立ちあがり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ」
物事を極めることに関して、全くその通りだと言えます。
学ぶことを怠って、目的だけ達成しようというのは無理な話です。
「ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり」
(自分でやって習う一方で、人のやっていることを見るのも習うことです。そして、習わないで良し悪しを言うのは愚かなことです。)
という利休百首の第2首と通じるところがあると感じられます。
実際に学ぶことせずに、物事を云々言うのは本質を捉えていないことが多いのではないでしょうか。
哲学的な宗教である禅と深い結びつきのある茶の湯の体系者である千利休と、希代の哲学者であるニーチェとでは、このように思想的に似たところがあるようです。
それでは、学んだり、習ったりすることを確実におこなってゆきたいものです。
そうすれば、目的が達成されることでしょう。