鈍太郎

黒楽茶碗「鈍太郎」

 

これは、光悦の造った赤楽茶碗「乙御前」のように高台が非常に小さくて低い茶碗で、托鉢僧が手にする鉄鉢に似た形状をしている黒楽茶碗です。
そして、釉薬の掛かっていない土見せが、茶碗の胴に豪快にひとつ大きく空けられているのが特徴的な茶碗です。

 

享保年間に、表千家6代覚々斎の手造楽茶碗、いわゆる、流芳五十が楽6代左入により焼かれました。黒が15碗で、赤が35碗でした。
その中で、江岑50年忌の時に使用されたのが、「鈍太郎」だったようです。

 

高田源郎は、江戸中期の呉服商で、名古屋の代表的な町方茶人です。覚々斎に入門、久田宗也に真台子の皆伝を受けました。
そして、江岑50年忌の後、「鈍太郎」を多数の門人の中から籤で引き当て太郎庵と号するようになりました。

 

その後、「鈍太郎」は、持ち主を次々と変え、大阪の鴻池善右衛門、そして、益田鈍翁の元に行き、現在では個人蔵となっています。

 

益田鈍翁のお庭焼師である大野鈍阿の「鈍太郎」写しが、テレビ番組のなんでも鑑定団(2012年10月16日放送)に取り上げられていましたが、鑑定結果は楽焼に匹敵するものでした。

 

良い物は何であれ、大事にされて伝えられていくものです。

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