三井の大番頭 益田鈍翁

益田鈍翁は、本名、益田孝は、嘉永元年(1848年)に 佐渡に生まれ、 昭和13年(1938年)に没しています。

 

幕府の旗本として勤め、明治維新後に、大蔵省に入省しましたが、現在の日本経済新聞となる中外商業新報や、三井物産を立ち上げました。

 

品川御殿山に碧雲台という邸宅を構えました。
そして、名古屋の高田源郎(鈍太郎)旧蔵であった表千家6代覚々斎手造黒楽茶碗「鈍太郎」を手に入れ、鈍翁と号しました。

 

不白流川上宗順に茶の湯を習い、大師会や光悦会などの大茶会を催し、茶の湯の振興に貢献しました。
大師会とは、明治28年(1895年)に入手した弘法大師筆「崔子玉座右銘」を披露するために、翌年3月21日という大師の縁日に、品川御殿山の自邸で開いた茶会で場所を代えて現在まで続いています。
光悦会とは、大正4年(1915年)11月に、土橋嘉兵衛、山中定次郎らの世話役により、鈍翁らの賛助を得て三井松風庵を会長にして鷹峯の光悦寺行われた茶会です。
その後、鈍翁が会長となり、現在まで続いています。

 

佐竹本三十六歌仙絵巻が高額すぎてそのままでは誰も所有できず、歌仙一首毎に裁断して分割所有することになり、大正8年(1919年)、その裁断が行われたのが、鈍翁の御殿山の邸でした。

 

近代数寄者として、原三渓や根津嘉一郎らとともに、大名という後ろ盾をなくして低迷していた茶の湯を復興した益田鈍翁の功績は本当に素晴らしいです。

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