行雲流水
行雲流水(こううんりゅうすい)
雲が空を行くように、水が流れるように、自然に逆らうことはないという様です。
つまり、物事の些事にこだわるのではなく、自然に身を任せるということです。
出典は、『宋史』巻338 列伝第97に、「蘇軾 子過」になり、以下のようになります。
大略如行雲流水、
初無定質、
但常行於所當行、
常止於所不可不止
(大略、行雲流水ノ如シ、
初メヨリ定質無シ
但ダ常ニ当ニ行クベキ所ニ行キ
常ニ止マラザルベカラザル所ニ止マル)
文を作るのは、行雲流水のように、初めから定まったものはなく、行くべきところに行き、止まるべきところに止まる、と蘇軾は言っています。
鵬雲斎好行雲棚は、行雲流水より名付けられたようです。
行雲と流水の透かしがあり、また、松、桜、梅、桑、玉椿、黒柿、楓、白竹という多彩な木から構成されています。
そして、季節が巡るように、風炉でも炉でも使われます。
それから、修行僧のことを雲水と言いますが、行雲流水のように、定まったところにいるのではなく、諸国の各地を巡って行脚することから、その名があります。
無頼派の坂口安吾を見習って、行雲流水のように生きたいものです。
但し、堕落しないように気を付けないといけません。
「悲しくてやりきれない」
胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを だれかに告げようか
白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか
深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も続くのか


