和歌に寄せる茶人の意識論の考察
「やまと歌は人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、事わざしげき物なれば、心に思ふ事を見る物きく物につけていひ出せるなり。」
『古今和歌集、序』
『南方録』の「覚書」には、侘び茶の理念が書かれています。
すなわち、武野紹鴎と千利休の侘び茶を象徴的に示す和歌が記されています。
武野紹鴎の茶の湯の心情として、以下の和歌が取り挙げるげられます。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ」
藤原定家(1162-1241年)
花・紅葉=書院台子
浦のとまや=無一物=侘び茶
花や紅葉の世界を知らないで、とまやの世界は理解出来ないということです。
『紹鴎わびの文』に、
「侘ということ葉は、故人も色々に歌にも詠じけれども、ちかくは正直に慎しみ深くおごらぬさまを侘びといふ、一年のうちにも十月こそ侘なれ」、とあるように、侘びは、朽ちていく美です。
そして、豪華絢爛な書院台子の「やつし」として「侘び茶」があります。
千利休の茶の湯の心情として、以下の和歌が取り挙げるげられます。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ」
+
「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや」、
藤原家隆(1158-1238年)
花・紅葉=書院台子
浦のとまや=山里=無一物=侘び茶
人々は、花・紅葉が自分の心の中に咲くことを知らずに、明け暮れ外の世界に探し求めています。
雪間から萌え出るように、外界の力や人工的な作意を加えないでこそ真実の道理が見えてくるのです。
小倉色紙とは、藤原定家選の百首を小倉色紙として洛西嵯峨の小倉山荘の障子(ふすま)に貼ったものです。
伝世されたものが古筆として茶の湯で初めて取り上げられます。
武野紹鴎と千利休が茶席の床に用いたのです。
綺麗さびは、小堀遠州により展開され、書画や和歌という王朝文化の理念と茶道を結びつけ、幽玄・有心の茶道を創りました。
そして、中興名物において、小堀遠州が好んだ国焼の茶入を中心に取り上げて中興名物としました。
『雲州名物帳』で、松平不昧が定めました。
中興名物の中には、和歌に因んだ引銘が茶入に付けられていました。
例えば、玉津島とは、『玉葉和歌集』に収められている崇徳院の歌です。
歌銘は、茶杓の共筒に和歌を書いて銘とするものです。
結論としては、和歌は古から人の心情を代弁してきました。見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ、花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや、という歌の前者が武野紹鴎、両者が千利休の侘び茶の心を表現します。
禅僧の墨蹟と同格として和歌が床に掛けられるようになり、小堀遠州の綺麗さびによる王朝文化と茶の湯の結び付きが幽玄・有心を誘引し、和歌に因む銘が生まれたりしました。





