原三渓

横浜にある三渓園は、文明開化によって従来の日本文化が軽視されている風潮にある中、三重塔などの古建築を全国から集めて後世に伝えている場所です。

 

この三渓園を作ったのが、原三渓という明治時代に生糸貿易をしていた豪商です。
三渓こと原富太郎は、慶応4年(1868年)に生まれ、昭和14年(1939年)に没しています。

 

益田鈍翁、松永耳庵らの近代数寄者とともに茶の湯の振興や発展に大きく寄与しました。

 

原三渓は、茶の湯に限らず、日本の芸術全般の庇護に努めました。
それが、三渓園に残されている古建築で、廃仏毀釈で多くの寺院が取り壊されて、また、廃藩置県で大名の所有する建物も解体されていることを憂え、自分の広大な邸内に各地から回避させて、移築したものです。

 

現在、10棟が重要文化財、3棟が横浜市指定有形文化財となっています。
また、箱根などに茶室を造っています。
白雲洞茶苑には、三渓の作った対字斎という茶室が残されています。

 

更に、パトロンとして、芸術家の育成にも貢献し、前田青邨、横山大観、下村観山、安田靫彦、小林古径らの巨匠を庇護しました。

 

三渓園では、よくお茶会が開催されますので、近隣にお越しの際には立ち寄られてはいかかでしょうか。

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