道具にある世界市民主義的な考察

「あなたはどこの国の人かと訊ねられると、世界市民(コスモポリテース)だ。
と彼(ディオゲーネス)は答えた。」とは、『ギリシャ哲学者列伝』にある言葉です。

 

唐物は、闘茶や書院の茶などで好んで用いられた中国品ですが、鎌倉時代には禅僧が天目茶碗などを持ち帰り、室町時代には勘合貿易で多く輸入されました。

 

名物裂は、中国、ペルシア、インドからもたらされた貴重な裂で、茶入や茶碗の仕覆、掛け軸の一文字、古袱紗、道具風呂敷などに使われました。

 

高麗物は、見立てにより、朝鮮の民窯の雑器を茶道具にされたもので、後には、御本手のように注文品も作られるようになりました。

 

和物は、日本国内で作られたものです。
国内の六古窯として瀬戸、常滑、信楽、丹波、越前、備前というものがあり、小山富士夫氏が提唱した名称になります。
志野焼は、窯が分かりませんでしたが、荒川豊蔵氏が美濃で焼かれた事実を陶片から見出いしました。
楽焼は、千利休のお庭焼として、茶の緑色の映える黒茶碗を、長次郎に焼かせたものです。
織部焼は、古田織部が、独特の文様を持ち、「へうげもの」という歪みのある茶碗を焼かせました。
遠州七窯は、志戸呂焼(遠江)、膳所焼(近江)、朝日焼(山城)、赤膚焼(大和)、古曽部焼(摂津)、上野焼(豊前)、高取焼(筑前)という小堀遠州の好みに適うような焼き物を焼いた窯です。

 

朝鮮出兵の際に、陶工を日本に連れ帰り、井戸茶碗の窯のように村が消滅したとされるところもありました。
萩焼(坂高麗左衛門)、有田焼(李参平)、薩摩焼(沈寿官)などが日本で始まりました。
当代の沈寿官は、就学の入学式後に差別を受けましたが、ソウル大学での講演で日韓の友好を唱えています。

 

朱印船貿易でもたらされた南蛮物は、芋頭、縄簾(安南)、ハンネラ(アユタヤ)で、水指、建水、花生などに使われました。

 

南蛮貿易では、オランダデルフト焼が蓋置などに使われました。

 

日本注文として、 中国では景徳鎮があり、朝鮮では、蕎麦・魚屋(利休時代)、御所丸・金海・彫三島(織部時代)、御本茶碗(釜山倭館窯)があります。
オランダでは、デルフト焼の狂言袴文の筒形向付が知られています。

 

唐木は、鉄刀木、紫檀、黒檀、花櫚があり、南方からもたらされ、茶入の挽家や、箱の蓋などをこれらの銘木を使って作りました。

 

香木は、伽羅、沈香などがあり、南方からもたらされ、蘭奢待は正倉院御物になるほど貴重なものとなっています。

 

象牙は、牙蓋、牙の茶杓、掛け物の軸に使われ、インド象から取れたものです。

 

コスモポリタニズムは、アレクサンドロスの帝国、ローマ帝国、ムガール帝国で見られ、領内の異民族や異教徒に対して融和政策で統治しましたが、亭主・半東・水屋・客一同もかくありたいものです。

 

結論としては、 闘茶や書院台子の茶は唐物を中心としたものでしたが、やがて、侘びの草庵茶で和物や高麗物を道具立てに取り入れました。
主に限らずに脇の道具も南方などから来たものが用いられました。これらは見立てであるため総合的には満足がいくとは言えず、茶人の趣向に沿った道具を国内外で作らせて共に用いました。
人間事象の政治や経済などと違い、茶道具などの物は国際調和を見事に実現なし得ていることでしょうか。

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