関 南北東西活路通
「関 南北東西活路通」

年末・新年や年度末・新年度など、新たな生活が始まるときに相応しい文言です。
関とは関所のことですが、そこを越えさえすれば後は南北東西、自由に活路が通じるということです。
師の大応国師禅師より与えられた「雲門の関」という公案を解いた際の大燈国師禅師の投機の偈(悟得の詩)が典拠です。
一回透過雲関了
南北東西活路通
夕処朝遊没賓主
脚頭脚底起清風
(一回雲関を透過し了り
南北東西活路通ず。
夕処朝遊 賓主没し、
脚頭脚底 清風を起こす)
まさに悟りの境地です。
「雲門の関」とは、『碧巌録』第八則「翠巌眉毛」において、「挙す。翠巌夏末、衆に示して云く、一夏以来兄弟のために説話す。 看よ翠巌が眉毛在りや。 保福云く、賊となる人心虚なり。 長慶云く、生ぜり。 雲門云く、関。」とあります。
唐時代の翠巌令参禅師が夏期に説法をしましたが、そこに嘘があったために通説のように眉が抜けてしまったか問うています。保福従展禅師は、心の何かを盗むことは落ち着かないのであろうと、長慶慧稜禅師は、眉は生えていると答えました。雲門文偃は、関と答えました。
「雲門の関」という公案は難しいですね。





