現在最も普及しているタイプの鏡は、銀蒸着させた板ガラスが鏡面に用いられています。しかし、ガラスという素材はフラジールなもので割れてしまうものです。そのため、鏡面に物が当たる衝撃でガラスが割れたりすることがあります。
こうなると、真実である実像を映し出すことができなくなるだけではなく、散乱したガラスの破片で手足を切って怪我をしてしまうことにも繋がります。
従って、安全な割れない鏡が求められることになります。こうしたコンセプトで開発されたものが、いわゆる「割れない鏡」と呼ばれている製品です。
鏡は真実を忠実に映し出すものです。その故、割れない鏡は、原理的には永遠に真実を映し出すことを課されたものであるとも捉えることができます。
これが、鏡が魅惑的な存在として扱われる理由なのかもしれません。
ここでは、物理的には鏡のように真実を映し出すことができませんが、あたかも映し出された真実が映し出されているかのように思われるものに関して概観してみることにしましょう。そのものとは、歴史書という書物です。
現在、多くの歴史書が洋の東西を問わず、伝わっています。そして、現時点でも歴史書が編纂されています。
歴史書は、過去に起こった事実を偽ることなく、後世に伝える役目を担っています。仮に、そこに記されたことが、真実でなければ、史実が定まらないことになります。
しかしながら、歴史書を編纂する者の歴史観によって、出来事の解釈が異なってくることがあります。そのため、真実を忠実に記した明鏡としての機能を求められることになります。
つまり、割れることのない鏡として、歴史書が史実を後世に映し出すのです。これは、決してぶれてはいけないものです。
このような考え方が反映されたものとして、鏡物と呼ばれる歴史物語が日本には存在します。それが、四鏡というもので、『大鏡』、『今鏡』、『水鏡』、『増鏡』という史書がそれに該当します。また、これ以外も、『吾妻鏡(東鑑)』などのように鏡を冠した史書も知られています。
平安時代後期の1080年頃に成立した歴史物語で、作者は不明です。文徳天皇から後一条天皇までの14代176年間に関して紀伝体にて記述されています。
雲林院の菩提講において、190歳ほどである大宅世継と180歳ほどである夏山繁樹が見聞してきたことを語り合い、30歳ほどである青侍が質問をしたりするのを周りにいる人達が聞いているというスタイルで、歴史が語られます。
「この世をば我が世とぞ思ふ 望月のかけたることのなしと思へば」という和歌を詠んだように、栄華の限りを尽くした関白である藤原道長を中心に記述がなされています。
摂関政治への批判もあることから、作者の歴史観が反映されたものとなっています。
平安時代後期の嘉応2年(1170年)頃に成立した10巻からなる歴史物語ですが、作者は不明です。後一条天皇から高倉天皇までの13代146年間に関して紀伝体にて記述されています。
大宅世継の150歳を越える孫娘が語るスタイルで歴史が語られ、具体的には、天皇、藤原氏、村上源氏などについて述べられています。
政治などに関してはそれほど記述されておらず、儀礼的なことに関して書かれています。これは、作者の歴史観によるものです。
鎌倉時代初期に成立した3巻からなる歴史物語で、中山忠親の著とされています。神武天皇から仁明天皇までの57代約1,500年間という『大鏡』で扱った以前の歴史を編年体にて言及しています。
修行者が葛城で会った仙人から聞いたことを、長谷寺で会った老尼が聞いて書き留めたというスタイルになっています。
『扶桑略記』などを資料にして書かれています。
南北朝時代に成立した歴史物語で、作者は不明です。後鳥羽天皇から後醍醐天皇までの約150年間の歴史を編年体にて記述しています。
『源氏物語』や『栄花物語』などの文体の影響を受けた擬古文で書かれています。
鏡物のような歴史書に登場する人や著者が歴史を形成しているのではありません。割れない鏡、そして、割れる鏡に映し出されるような人も歴史をリアムタイムで形作っているのです。
現在、ほとんどの人は鏡を使うと思われます。従って、鏡に自分という真実を映し出して、歴史を刻々と刻んでいってください。鏡に映る自分を見直すことで、何かしら思うことがあるかもしれません。
以上より、割れない鏡として歴史を忠実に映し出す鏡物と呼ばれる歴史物語には、『大鏡』、『今鏡』、『水鏡』、『増鏡』があります。これらは、割れないどころか、曇ることさえなく、永年にその歴史を映し出していくことでしょう。
一方、これらの鏡物を読む人達も、そして、いわゆる割れない鏡を見る人達も瞬間瞬間、歴史を織りなしているのです。
それでは、鏡物によって映し出された過去の真実を見てみることも、現在を知る上では必要なことかもしれません。これらを紐解いてみてはいかがでしょうか。
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