毎年、年末ともなると街はクリスマス一色となり、イルミネーションやオーナメントを施されたクリスマスツリーは欠かせないアイテムとなっており、特に子どものいる家庭では家でもクリスマスツリーを飾ることが多くなっています。
そして、クリスマスツリーには、針葉樹のような常緑樹が用いられ、また、木のてっぺんであるツリートップには星のオーナメントが付けられます。つまり、何かしらの決まりのようなものがあるようです。
しかしながら、クリスマスは、日本固有のイベントではなく、明治期以降に海外から入ってきたものです。そのため、クリスマスツリーを何故飾るのかというのも、分かっていない人が少なくはないと思われます。
ここでは、そのような人のために、クリスマスツリーに関して検証してみることにしましょう。
古代人は、冬でも葉が落ちることもない常緑樹に対して特別な感情を持っていました。つまり、生命力や普遍性というものです。そのため、常緑樹を神聖なものとして飾り、魔除けなどの目的がありました。
そして、昼の長さが最も短くなり、これを過ぎると日が長くなっていく冬至の頃には、北欧の古代ゲルマン人の間ではユール(Yule)と呼ばれる祭りが行われ、豊穣と平和の神に捧げ物がなされました。そして、冬至当たりこの時期には悪霊が出るとされました。その際、イギリスのように常緑樹を魔除けとして飾ったり、薪を燃やしたりすることがあったようです。
これ以外にも、常緑樹を飾る習慣は各地にあったようです。このような伝統と風習が、やがて入ってきたキリスト教と融合していくことになるのです。
イザヤ書には、「レバノンの栄光 は、もみの木、すずかけ、檜も、共に、あなたのもとに来て、わたしの聖所を美しくする。」(60.13)とあります。そして、604年に、教皇グレゴリオ1世はカンタベリーのアウグスチティヌス司教に宛てた書簡でこれらの木々を飾ることを認可しています。
現在のクリスマスのようなクリスマスツリーは、ドイツが発祥と言われています。
キリスト教の聖人である聖ボニファティウスがドイツに伝道していた際、723年、トール神が宿るとされた樫の巨木を民衆の前で切り倒しました。そのとき、聖なる木を伐採したにも関わらず、伝説で言われるような雷を落ちませんでした。そして、モミの木を代わりに差し出したとされています。
また、中世のドイツにおいて、アダムとエヴァの物語として知られている楽園における堕罪の物語の劇をクリスマスイブに行う習慣がありました。この劇中に登場するリンゴの木としてモミの木が代用されました。厳密に言えば、オウシュウトウヒやヨーロッパモミという木と思われますが、日本人には分かり易いモミの木となっているようです。以後、モミの木が使われるようになり、現在のクリスマスツリーのオーナメントとして、丸いボールがありますが、これはリンゴ(知識の実)を表しています。
現在知られているクリスマスツリーとしての古い実例としては、1419年にドイツのフライブルクでパン職人がクリスマスツリーを飾ったというものが最古のようです。そして、16世紀に、ルーカス・クラーナハ(父)が銅板にクリスマスツリーを描いたものがあります。更に、1605年アルザス地方の旅行記に、ストラスブールではクリスマスにオーナメントで飾った木を立てることが記されています。
16世紀後半以降、ドイルではクリスマスツリーを飾ることが浸透していたようです。
そして、アメリカに移住したドイツ人によってクリスマスツリーがアメリカに広められたようです。
やはり生命力や普遍性を暗示する常緑樹が基本となっており、その中でも北方に生えている針葉樹が使われる場合が多いです。なかでも、モミの木が一般的になっていますが、このモミの木は日本原産です。海外では、ヨーロッパモミ、ドイツトウヒ、コーカサスモミなどが使われます。
丸いボールがリンゴを表しているように、オーナメントにも意味があるのです。
トップツリーの星は、占星術の学者たちが星に導かれてベツレヘムに行き、イエス・キリストを発見したことに由来しています。
このように、キリストの降誕を祝う日に飾られるクリスマスツリーには、当然ながらキリスト教色が強いことがうかがわれます。
以上より、クリスマスツリーは、古代人が冬でも葉が落ちない常緑樹を魔除けとしていたことなど風習が、キリスト教と融合していったことで、クリスマスに飾られるようになりました。おおよそ、ドイツでクリスマスツリーは発展したようで、それがアメリカに伝えられることで、サンタクロースなどのように世界に広まったと考えられます。
それでは、見識を深めたクリスマスツリーを街中で見たり、部屋に飾ったりして、もう1度理解を深めてみてはいかがでしょうか。
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