現在、サンタクロースと言えば、赤い服を着て、白いあごひげの太った男が、トナカイの引くそりに乗って、子供達のところへ来てプレゼントを置いていくというイメージが確立しています。考えようによっては荒唐無稽ともとれるサンタクロースのモデルは、実際に実在した東ローマ帝国の聖ニコラオスと言われています。このようなイメージはどのようにして定着していったのでしょうか。
サンタクロースのイメージが定形化されつつあったと考えられる19世紀のクリスマスカードなどに描かれたサンタクロースを見ると、赤色や青色や緑色があったりして、必ずしも、現在のように赤ではないことがわかります
開拓時代にオランダから聖ニコラオスを起源とするシンタクラース(Sinterklaas)がアメリカに伝わります。18世紀後半には、音の変化したサンタクロースという名称が使われていました。
1821年に出版された絵本であるThe Children's friend. Number III A New-Year’s Present to the Little Ones from Five to Twelveには、作者が匿名となっているOld Santeclausという詩の中で、そりに乗って子供達にプレゼント配る男が登場します。この本は、アメリカで最初のリソグラフの絵を載せたものと考えられています。絵には、1頭のトナカイの引くそりに乗ったサンタクロースが、聖ニコラオスの日の前日ある12月5日ではなく、クリスマスイブに現れるのです。そして、良い子の家を訪れて靴下にプレゼントを入れていきます。他方、悪い子の靴下には、樺の木でできた黒い鞭をいれていきます。しかし、興味深いことに、絵の中のサンタクロースは、赤色、もしくは、緑色の服を着ているのです。
1823年12月23日のThe Troy Sentinelという週2回発行の新聞に、A Visit from St. Nicholas という別名を持つTwas the Night Before Christmasという題名の詩が掲載されました。後にこの詩の作者はClement Clark Moore(1779-1863年)であるとされましたが、まだ確定してないようです。この詩の中で、8頭のトナカイによって引かれるそりに乗って空からサンタクロースが子供達のいる家に来て、煙突から家の中に入り、靴下をプレゼントでいっぱいして空に帰って行くということが描写されています。
この時点で、現在のサンタクロースのイメージと多くの要素が合致しているようです。
1863年1月3日に発行されたHarper's Weeklyという雑誌に、Thomas Nast(1840-1902年)の初めて描いたサンタクロースが掲載されました。それは、南北戦争の空気の漂う中、アメリカ国旗に身を包んだサンタクロースがJeffと書かれた人形を持ってキャンプにいるという戦争下のクリスマスを描いた絵でした。Jeffとは、Jefferson Davisという南軍の軍人です。サンタクロースがプロパガンダに利用されていますが、19世紀には戦争という有事でもクリスマスを楽しむ習慣がアメリカで広まっていたことが分かります。
Natは1863年から1886年にかけてHarper's Weeklyに33個のクリスマスの絵を描きましたが、その32個にサンタクロースが関与しているのです。彼によってサンタクロースのイメージ像が形作られていきました。すなわち、彼以前は、サンタクロースは、ひげが時にはなく、背が高くてやせた男でしたが、あごひげを生やしている楽しげな太った男へと変わっていったようです。1811年に発行されたHarper's Weeklyには、現在のイメージに繋がるひげを蓄えた恰幅のよいサンタクロースがページ一面で描かれました。
また、サンタクロースの住んでいる場所が北極というのもNastによって創出されたようです。1866年12月29日に発行されたHarper's Weeklyには、サンタクロースが仕事をする姿が丸の中に幾つも描かれているSanta Claus and His Worksと題した絵が掲載されました。この絵の一番大きな円の右上枠内に小さい字でSanta Claussville, N.Pと書かれています。このN.P.は、North Poleのことを指し、villeは村のことです。ちょうど、1840年代や1850年代は北極探検が注目を集めていた時期で、一年中、雪のある北極は、クリスマスのイメージに合うものでした。そして、どの国にも属していない北極は、サンタクロースを普遍的な存在としました。
1869年に、色づけされたSanta Claus and His Worksという題名の本が出され、詩を飾る絵として5個の仕事をしているサンタクロースのNastの絵が色づけされていました。その絵の中でサンタクロースは赤い服を着ていたのです。そして、1890年に、Thomas Nast's Christmas Drawings for the Human Raceという本を出版しましたが、この本は当時、カラーではなかったようです。
それから、1870年代と1880年代のクリスマスカード販売業者の多くが、Nastの作ったサンタクロースの絵を参考にしました。
Haddon Hubbard(1899-1976年)が1931年からコカコーラの宣伝として、赤い色の衣装を着たサンタクロースがコカコーラを持っているポスターを描きました。これによって、赤い色の衣装を着たサンタクロースが世界に広められました。
以上より、聖ニコラオスをモデルとしたシンタクラースがオランダからアメリカに伝えられてから独自の発展と遂げたようです。サンタクロースの服の色は必ずしも赤色と定まってなかったのですが、19世紀後半に、Nastの描いた絵によって赤が定番となったのです。そして、ビジュアルと出版物の力によって新たに付与されたサンタクロースのイメージは、急速に広まっていき、やがて、コカコーラで宣伝に登場してから全世界に拡大していったのです。
とはいうものの、司祭の伝統的な服の色調は、赤と白から構成されていましたから、元を正せば、聖ニコラオスということになるかもしれません。ですので、服の色に関しては、本来の色の姿を取り戻したとも考えられます。
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