アメリカではハロウィンは盛り上がっているようだけれど、ヨーロッパの実情を知りたい、というお悩みを持っている方がいらっしゃるようなので、それを解決したいと思います。
ハロウィンの起源は、古代ケルト人が大晦日に当たる10月31日に、サーウィン(Samhain)という収穫感謝祭と悪霊払いを行ったことにあると考えられています。
ケルト人はヨーロッパの広範な地域に住んでいましたが、ローマ人やゲルマン人などと次第に同化していき、ケルト文化の多くは一部の地域を除いて廃れていくことになるのです。
古代ケルト人の時代において、同じケルトの地であるガリアやブリテン島とは違って、アイルランドはローマ帝国の支配下に入らなかったため、ケルト人の文化や伝統が温存されました。他方、ガリアと呼ばれたフランスでは、ローマ人やゲルマン人との同化が進んでいき、ケルト文化は廃れていきました。
そして、5世紀にアイルランドにキリスト教が入ってきて徐々に浸透してゆき、ケルト文化とキリスト教文化が融合していくことになります。それでも、ブリテン島に比べれば、ケルト文化は残され、イングランドに支配されてもその文化は生き続けることになります。
19世紀になるとアイルランドからアメリカに移り住む人達が増えて、ハロウィンも一緒に携えて、アメリカにハロウィンを根付かせてしまったのです。
従って、アイルランドはハロウィンの発祥地と言っても過言ではありません。現在でもハロウィンのイベントは行われていて、10月の最終月曜日から11月2日までが学校の休みとなるハロウィン休日が設けられています。
アイルランドの首都であるダブリンでもハロウィンは盛り上がりを見せています。学校ではハロウィンパーティーが開かれ、街中がハロウィン一色になります。
また、イギリスの一部となっている北アイルランドのデリー、ないしは、ロンドンデリーは、ベルファストに次ぐ第2の都市で、ハロウィン発祥の地として知られています。毎年、世界最大級のハロウィンカーニバルが行われています。
このようにアイルランドではケルト魂がまだ生き残っていることが分かり、ハロウィンが盛大に挙行されているのです。
ブリテン島は、ローマ人、アングロ・サクソン人、デーン人、ノルマン人によって入れ替わりに征服されてきたため、および、カトリックの分派であるもののプロテスタント的なイングランド国教会を掲げる絶対王政が確立したため、ケルト文化はほとんど残っていない状況でした。そのため、10月31日のハロウィンはあまり盛り上がりを見せていません。その代わりに、11月5日のガイ・フォークス・デー(Guy Fawkes Day)が盛んに行われています。
1605年11月5日、カトリックのガイ・フォークス達が議会爆破とジェームズ1世殺害しようとした計画が発覚して逮捕されました。これを記念して毎年11月5日に、ガイ・フォークス・デーとして、フォークスをかたどった人形を火にくべたり、かんしゃく玉や花火を爆発させたりするようになりました。かがり火を焚いたサーウィンと融合したものとされています。
ブルターニュに僅かにケルト文化が残されているようです。
しかし、ハロウィンはあまり盛んではありませんが、昨今、ユーロディズニーランドなど、アメリカの影響でハロウィンが少しずつ楽しまれるようになってきました。
古代ケルト人のハルシュタット文化やラ・テーヌ文化の舞台ともなりましたが、ゲルマン人の台頭により、ケルト文化はほぼ残りませんでした。
そのため、ハロウィンはあまり行われてきませんでしたが、現在、ドイツでおこなわれているハロウィンはアメリカから移入されたものと考えられます。
ケルト人に共和政ローマの首都であるローマが蹂躙された過去もありますが、ローマ人とゲルマン人によってケルト文化は壊滅的な状況でした。
はやり、ハロウィンが近年、行われるようになってきました。
伝統的なハロウィンの歴史はありませんが、ヨーロッパ大陸の主要各国と同様に少しずつハロウィンのイベントが行われつつあります。
以上より、ヨーロッパにおいてケルト文化が残った地域と残らなかった地域で、ハロウィンの盛り上がりに差があることが分かりました。アイルランドはケルト文化がよく残されたため、ハロウィンがとても盛んにおこなわれます。それ以外は、最近、アメリカのハロウィンがもたらされて行われるようになりました。
プロテスタントは偶像崇拝を禁じていますので、ハロウィンに対して好ましくは思っていません。しかし、アメリカから持ち込まれたハロウィンは宗教色が非常に薄れたものですので、受け入れられているとかんがえられます。
ヨーロッパを訪れた際には、ハロウィンがどう楽しまれているのか、見ているのも興味深いのではないでしょうか。
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