ケルト人とは

古代ケルト人

 ケルト人は、中央アジアからヨーロッパに来たインド・ヨーロッパ語族で、ケルト語派を話す人達です。三時期法の青銅器時代にライン・エルベ・ドナウ川周辺の中部ヨーロッパに住み着いて、青銅器時代末期から鉄器時代初期にハルシュタット文化(紀元前12世紀-紀元前6世紀)を開花させ、これはやがてラ・テーヌ文化(紀元前5世紀-紀元前1世紀)へとギリシアやエトルリアの影響をうけながら発展していった。
 紀元前10世紀-紀元前8世紀頃から中部ヨーロッパから移動を始め、ガリア、西ドイツ、北イタリア、バルカン、ヒスパニア、ブリタニアにも広まっていった。紀元前387年、アッリアの戦いで勝利したケルト人のセノネス族は、共和制ローマ時代のローマを蹂躙しました。
 ギリシア語でケルトイ、ラテン語ではケルタエと呼ばれて、これがケルトという名称の語源となっています。

サーウィン

 古代ケルト人はサーウィン(Samhain)という収穫感謝祭と悪霊払いをケルト人の暦で大晦日となる10月31日に行っていました。夏が終わり、冬になる時季に当たり、とても神聖なものとされました。また、この世とあの世の境界がなくなり、あの世からこの世に死者の魂や悪霊などが現れると信じられていました。そのため、ドルイド祭司はかがり火を焚いて、悪霊などをなだめたり、遠ざけたりするとともに、収穫を感謝して翌年の豊穣を祈願するために収穫物や動物を燃やして神々に捧げました。そして、厳しい冬を乗り越えるために心待ちにされた預言も行いました。また、人々は悪霊や悪魔の格好をして、彼らの仲間を思わせて近づかせないようにしていました。
 このサーウィンが、ハロウィンコスプレやトリック・オー・トリートで盛り上がっている現在のハロウィンの起源なのです。

ローマ帝国によるケルト人支配

 特に、ガリアと呼ばれる地域に住んでいたケルト人をガリア人と呼んでおり、ガリア人はケルト人の分派と見なされます。
 紀元前1世紀頃になると、紀元前58年からガリアはローマとのガリア戦争を戦います。ガリア連合軍を率いるウェルキンゲトリクスは、紀元前52のゲルゴウィアの戦いで、カエサルの率いるローマ軍に勝利しました。しかし、紀元前52年のアレシアの戦いで、ウェルキンゲトリクスはカエサルに敗れて囚われの身となり、ローマに運ばれました。投獄された後、結局、処刑されてしました。
 このアレシアの戦いによって、ガリアはローマの属州となりました。そして、ライン川以東から移動してきたゲルマン人に押されて、ローマ人やゲルマン人と同化していって、大陸のケルト人はいつしか消滅していったのです。

 ところが、海の向こうのイギリスやアイルランドなどのケルト人は事情が異なります。
 紀元前55年にカエサルがブリテン島に上陸したものの、征服することはできませんでした。43年にようやくクラウディウス帝によってブリテン島のイングランドやウェールズが支配されるようになりますが、アイルランドやスコットランドなどはその統治下には入っていません。それどころか、北方からの侵入を防ぐために、122年頃にハドリアヌスの城壁が最前線に築かれました。
 このため、アイルランドやスコットランドでは古代ケルトの文化や伝統が温存されることになります。

キリスト教の浸透

 313年、ミラノ勅令によってローマの皇帝であるコンスタンティヌス帝はキリスト教を公認しました。更に、392年、皇帝テオドシウス1世はキリスト教を国教に定めました。
 このため、ローマ帝国内でキリスト教以外の宗教は禁止なり、以後、キリスト教が勢力を保つようになるのです。
 とはいうものの、410年にローマ軍がブリテン島から撤退します。また、476年には西ローマ帝国が滅亡してしまいます。
 それでも、キリスト教は、ローマ帝国に支配されなかったアイルランドにも浸透していきます。432年頃、聖パトリックがアリルランドに来て教会制度を整えました。古代ケルトの宗教とキリスト教が融合して、徐々にキリスト教化が進んでいきました。それどころか、ケルト人は敬虔なキリスト教となったのです。
 8世紀前半に教皇グレゴリウス3世は、全ての殉教者と全ての聖人を祝う日として、11月1日を万聖節としました。万聖節前日を英語で表すと、All Hallow’s Eveで、まさのHalloweenなのです。

アングロ・サクソン族の侵攻

 ゲルマン人にガリアが移動してくるに及び、410年にローマ軍がブリテン島から撤退すると、5 世紀に、現在のドイツからアングロ・サクソン族がブリテン島に来て、イングランドとスコットランドを征服しました。但し、ウェールズとアイルランドは支配を免れました。
 こうして、支配されていない地域では、ケルト文化が残されることになったのです。

ノルマン・コンクェスト

 1066年、ノルマンディー公ウィリアムは、王位の継承問題に介入してイングランドを支配しました。この人物が現在のイギリス王室の始祖とされています。
 イングランドの支配を受けたりしますが、スコットランドとは違い、これ以降も、ウェールズ、とりわけ、アイルランドは独自の文化を守り続けていくことになります。アイルランドでは、宗教改革後もカトリックのままでしたので、プロテスタントの嫌う偶像に対しても寛容で、ハロウィンやクリスマスが存続することになったのです。

ジャガイモ飢饉によるアメリカへの移民

 1845年頃にアイルランドに起きたジャガイモ飢饉によってアメリカに移民として移り住む人がたくさん生じました。この際、ハロウィンがアメリカに伝えられることになるのです。

まとめ

 以上より、インド・ヨーロッパ語族である古代ケルト人はヨーロッパ全土にいましたが、ローマ人に征服されたり、ゲルマン人が移動したりして大陸では同化が進みました。しかし、ブリテン島の一部やアイルランドでは、ローマ人やアングロ・サクソン族やノルマン人のようなゲルマン人の支配下にならない地域もあり、特にアイルランドではケルト文化がよく残されました。
 古代ケルトのサーウィンを起源とするハロウィンは、アメリカに伝えられ、現在、世界各国で楽しまれています。
 このように、ケルト文化は現在でも生き続けているのです。


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