浪子最中

逗葉とも呼ばれる逗子と葉山は、温暖な気候であるために文士が訪れる機会が多く、文学作品の舞台としてよく取り挙げられます。

その代表的な作家には、徳冨蘆花、泉鏡花、石原慎太郎らがいます。

 

明治のベストセラー小説ともなった蘆花の書いた『不如帰』(ほととぎす、ふじょき)は、逗子や伊香保が舞台となっています。

主人公の浪子が結核のために夫が出征中に離縁され、やがては息を引き取るというあらすじです。

 

名場面の中で知られる高養寺(浪子不動)の前の海には、昭和8年(1933年)に『不如帰』の文学碑が海の中に建てられました。

この場所は、潮が引けば陸となるので、その碑まで歩いていくことが可能です。

蘆花の兄である徳富蘇峰の筆になり、その石材は、江戸城石垣用として佐賀の鍋島藩が伊豆から切り出したもので、運搬の途中で海に沈んだものと言われています。

もしくは、鎌倉時代に宋船の停泊のために、小坪辺りに港を築いた際に用いられたものという説もあります。

 

ところで、以下のようなお菓子を食べたりして、お茶を楽しみました。

 

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主菓子 浪子最中 三盛楼製(逗子)

菓子皿 印判伊万里皿

 

干菓子 磯あそび 富久屋製(京都)

干菓子器 四方盆 煌又造

 

逗子を訪れた際には、執筆の地となった蘆花記念公園に足を運んでみてはいかがでしょうか。

その後は、日影茶屋で食事を摂るのもよいでしょう。

 

 

 

『不如帰』、徳冨蘆花

不動祠(ふどうし)の下まで行きて、浪子は岩を払うて坐(ざ)しぬ。この春良人(おっと)と共に坐したるもこの岩なりき。その時は春晴うらうらと、浅碧(あさみどり)の空に雲なく、海は鏡よりも光りき。今は秋陰暗(あん)として、空に異形(いぎょう)の雲満ち、海はわが坐す岩の下まで満々とたたえて、そのすごきまで黯(くろ)き面(おもて)を点破する一帆(ぱん)の影だに見えず。

浪子はふところより一通の書を取り出(いだ)しぬ。書中はただ両三行、武骨なる筆跡の、しかも千万語にまさりて浪子を思いに堪(た)えざらしめつ。「浪子さんを思わざるの日は一日も無之候(これなくそろ)」。この一句を読むごとに、浪子は今さらに胸迫りて、恋しさの切らるるばかり身にしみて覚ゆるなりき。

いかなればかく枉(まが)れる世ぞ。身は良人(おっと)を恋い恋いて病よりも思いに死なんとし、良人はかくも想(おも)いて居たもうを、いかなれば夫妻の縁は絶えけるぞ。良人の心は血よりも紅(くれない)に注がれてこの書中にあるならずや。現にこの春この岩の上に、二人並びて、万世(よろずよ)までもと誓いしならずや。海も知れり。岩も記すべし。さるをいかなれば世はほしいままに二人が間を裂きたるぞ。恋しき良人、なつかしき良人、この春この岩の上に、岩の上――。

浪子は目を開きぬ。身はひとり岩の上に坐(ざ)せり。海は黙々として前にたたえ、後ろには滝の音ほのかに聞こゆるのみ。浪子は顔打ちおおいつつむせびぬ。細々とやせたる指を漏りて、涙ははらはらと岩におちたり。

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