玄々斎好 更好棚
更好棚という棚が裏千家にはあります。
中棚があって、荘る際にはこの中棚を空にしてはいけないことになっていて、柄杓と蓋置をここに荘り置きます。
また、始めは棗が中棚に荘ってあります
もともと利休好みであった三重棚を、裏千家11代家元の玄々斎(文化7年(1810年)-明治10年(1877年))が好み直して二重棚にしました。
これは、桐の木地のものでしたが、玄々斎が禁裏に献上するに及んで、溜塗・妻紅というように再好みをしました。
そのため、更好棚と呼ばれているのです。
本歌は、7代宗哲によって造られたようです。
妻紅は爪紅と同じです。
木地のものは、虚白斎と号していた頃のものなので、虚白斎好 二重棚と当時、呼ばれていました。
それから、禁裏に献上した時期はよく分かりませんでした。
慶応1 年(1865 年)、慶応2 年(1866年)1 月10 日、そして、明治2年(1869年)に禁裏献茶を行っていますので、このいずれかのときかもしれません。
しかし、7代宗哲は寛政10年(1798年)- 弘化3年(1846年)が生没年であるので、本歌が7代宗哲造とすれば、比較的早い段階で造られていたことになります。
玄々斎が家元に就任したのは、文政9 年(1826年)のことなので、一応、時代が重なっています。
もう少し情報が欲しいものです。
他流派にも三重棚や志野棚から派生した二重棚はありますが、以上のような経緯があるため、二重棚ではなく、更好棚と呼ばれています。
鵬雲斎好の更好棚は、爪紅ではなく、全て黒色となっています。
それでは、早速、更好棚を使った点前をしてみるのもよいでしょう。