西行
鳥羽院に出家にいとま申し侍るとて詠める
惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは身を捨ててこそ身をも助けめ 西行
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ 西行
西行「(略)なるほど歌は風のようなもので、打ってくる太刀を受けることはできない。だが、激しい風が家を吹き倒すように、歌も人の心を吹き倒すことがきる。天地の色合いを変え、悲しみを喜びに、喜びを悲しみに変えることができる。性情を変え、運命をすら変える。歌にはこの世を変成する力があると思うな」
清盛「(略)強い権力だけが大きな物を動かすことができる。要は大岩を動かすだけの腕力があるかどうかなのだ。歌では大岩は動かない」
西行「だが、その権力では人の心は動かない」
清盛「さあ、どうかな。権力で動くのが人間ではないかな」
西行「たしかに剣の力は人を殺すことができる。だが、人の心は殺せない。同じように権力は世を変えることができる。だが、世の心を変えることはできない。」
清盛「いや、私は世を変えられればそれで十分だな。そういう権力だけに私には意味がある。世が変われば人の心も変わるのじゃないかな」
西行「どうかな。それは。私は院のことを考えることがある。院は権力の頂点におられるお方だ。だが、院は虚空のなかに立っておられる。何も支えがないのだ。院の権力をもってしても心の支えが見つからないのだ。院を支える土台を作れるのは、別の権力だと思わないかね」
『西行花伝』 辻邦生
自分で発心する出家というものは、明確なひとつの原因などあるのではなく、わけもなく不思議な何かにそそのかされてそうなり、出家した後に於て、自分でさえ判然と云い表わすことの出来ない原因を、探しつづけることが出家者の生きざまとなっていくように考えられるからである。
『白道』 瀬戸内寂聴