鶯宿梅
鶯宿梅は、この時季によく使われる銘です。
村上天皇の御代に清涼殿の前にあった梅の木が枯れた際に、紀貫之の娘である紀内侍の家に植わっていた梅の木を移植しました。
すると、「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へん」という和歌の書かれた文が枝に付けられていました。
天皇が誰の家から取ってきたかを問うたところ、紀内侍であることが分かり、恐縮しました。
『大鏡』巻6「道長下」、『拾遺和歌集』巻9雑下531、謡曲「鶯宿梅」などに、この故事が記載されています。
上記のものは、『大鏡』に則ったものです。
しかしながら、『拾遺和歌集』では、この和歌は家主の女となり、紀内侍とは断定できません。
そのため、実際問題として、詠み人は諸説あるのです。
『拾遺和歌集』の方が『大鏡』よりも成立が早いと考えられます。
更には、天皇に関しても一条天皇や後鳥羽天皇というものもあります。
尋常小学読本唱歌「三才女」(芳賀矢一作詞、岡野貞一作曲)という歌の1番は以下のようなものです。
色香も深き、紅梅の
枝にむすびて 勅なれば
いともかしこし うぐいすの
問わば如何にと 雲いまで
聞え上げたる 言の葉は
幾代の春か かおるらん。
ちなみに、2番は小式部内侍、3番は伊勢大輔に関する歌詞となっていて、1番は誰かが特定されてはいませんが、小式部内侍と伊勢大輔と並ぶ才女ということになります。
高天彦神社の参道前などに、鶯宿梅と呼ばれる銘木が全国各地にあるようです。
鶯のように花を愛でに行かれてはいかがでしょうか。