赤膚焼
遠州七窯の1つである赤膚焼(あかはだやき)は、奈良市五条町付近で造られている焼き物で、五条焼とも呼ばれます。
五条山の別名である赤膚山からその名があります。
天正年間(1573- 1592年)に、豊臣秀長が常滑の陶工与九郎を招いたのが始まりと言われていますが、開窯の時期ははっきりとはしていません。
もともと、この辺りは、埴輪や瓦などの焼き物が焼かれていた地域です。
大和郡山藩主であった柳沢堯山は、寛政8年(1796年)頃に陶工伊之助や治兵衛を京都から招いて藩の御用窯としました。
また、天保年間(1830-1844年)に、奥田木白(もくはく)が京焼の作風を取り入れて、有名となりました。
治兵衛の窯は、中の窯としてその後も続き、8代古瀬堯三が今でも受け継いでいます。
赤膚焼の特徴としては、淡い赤味を帯びた乳白色の肌をした釉薬で、奈良絵と呼ばれる絵付けがなされています。
大塩昭山、大塩玉泉、大塩正人、古瀬堯三、小川二楽、尾西楽斎によって6つの窯元が現在、存在して作陶しています。
京焼風の上絵付けがなされた茶碗などは、絵付けがとても可愛らしいものです。
茶碗以外の茶道具もあり、また、茶道具以外の作品も造られており、お好みのものが見付かるのではないでしょうか。